渥美線の側線
新豊橋〜三河田原でステンレスカーが15分間隔で運転され、すっかり都市近郊路線化した豊橋鉄道渥美線ですが、かつては貨物輸送も盛んに行われていました。 電気機関車がのべ6両、電動貨車1両も在籍し、路線距離18.0kmに対し機関車の多さが目立ちました。
1924(大正13)年の高師〜豊島開業時には既に貨車が用意され、1925(大正14)年の新豊橋開業後に省線との連絡運輸が始まりました。 当初は電車が貨車を牽引する混合列車程度で、輸送量もさほど多くありませんでしたが、戦時中は沿線に多かった陸軍施設関連の軍需輸送や工場進出で輸送量が大幅に伸びたようです。 特に三河田原のセメント輸送は最後まで貨物輸送の主力を占め、35〜40t機関車も導入されていました。
地図


高師駅構内のヤード跡

高師駅構内ではユニチカ発着貨車の操車のほかに石油扱いもありました。 専用線ではなく高師駅構内側線扱いだったようですが貨物扱いの名残を留める施設ということで取り上げます。 貨物廃止後も側線は留置線として長く残っていましたが、隣接する車庫の改築などと共に線路は撤去されて、拡張された駐車場のスペースになりました。


高師駅構内。島式ホームの中央に構内踏切が付く独特の風景は変わりありませんが手前に分岐していた側線が撤去されました。 ここで手前の線路に列車が入ると駅舎と行き来ができなくなってしまうので、旅客列車は実質右の線路しか使っていません。 側線がまだあった頃。7300系さよなら運転の際に、留置・展示場所となっていました。 高師〜大清水で1往復走った後で入換で側線に入って来たところ。一番左端に見える側線が石油の取卸線でした。
2002(平成14)年3月31日撮影


貨物ホームや留置線などと駐車場が混じるカオス空間でしたが今はただの駐車場。 奥の石油貯蔵施設だけが別世界のようです。 先ほどの7300系さよなら運転が始まる前の様子。 廃車や改造待ちの車両など使用頻度の低い車両が置かれる留置線だったので、この側線を車両が走る風景はこの時しか見ていません。
2002(平成14)年3月31日撮影


石油貯蔵施設内、大型タンクの他、移動型のタンクなど懐かしのものも・・・本当にここだけ時が止まっているような風情ですね。 1500V昇圧後も何故か1編成だけ残されていた600V車モ1801+モ1851。 保存の話でもあったのでしょうか?
2001(平成13)年5月4日撮影


懐かしい旧日本石油マークの石油タンク。 子供の頃は何を象ったマークなのかわからず1つ目の怪物のようで不気味に思っていましたがコウモリだということを後になって知りました。 足元にはタンク車から据え付けタンクに石油を移す時に使用していたと思しきホースとバルブが見られます。


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