ユニチカ豊橋工場専用線

朝鮮戦争特需のため大日本紡績(現ユニチカ)が岡山の常盤工場(総社の専用線)と並行して建設を進めた豊橋工場の専用線。 工場は1950(昭和25)年12月に起工、1951(昭和26)年6月30日に専用線開業、同年12月5日に工場の完成式が行われています。
豊橋工場は綿紡績を行っており、急増していた輸出需要に応えるものとして稼働を開始しました。 専用線は作業キロ1.0kmで電化されており、豊橋鉄道の電気機関車が入換に当たっていました。 専用線では到着貨物が原綿、発送は綿糸と思われますが推測の域を出ません。
廃止が早い傾向のある紡績工場の専用線としては遅くまで残った方で1977(昭和52)年7月31日を最後に廃止されました。


高師駅新豊橋側で分岐する専用線。 僅かに側線として使われている部分は残っています。 渥美線の架線電圧1500V昇圧直後には廃車になった600V車1750系+1730系が留置されていました。
1998(平成10)年4月21日撮影


高師緑地内を横切っていた専用線跡。 公園の散策路になっていますが、盛り土になっているのが線路の名残。 公園の中を通過する専用線というのも独特だったことでしょう。 高師緑地を抜け県道407号伊古部南栄線を渡ると併用軌道にレールが現れます。 現役時からトラックとの共用だったようですね。 石山の専用線もこんな感じでした。 当時は私道だったと思われますが今は地図上で確認したところ公道のようです。 ゲートも開きっ放しで線路脇には花壇になってます。


工場入り口直前に残る架線柱。 「日紡 二六 昭26.4」の標示も残ります。 日紡は大日本紡績の略称で「ニチボー」の方が世間的には通りが良いですね。 ニチボー貝塚の東洋の魔女とか。 ←の場所の11年前の様子。 こちらは工場側から見てますが凡その様子は変わっていません。 架線柱に碍子や踏切動作反応灯が付いていたり、踏切警報器(後述)の ×印がまだ残っていたりと変わったこともあります。
2002(平成14)年3月31日撮影


工場内にもまだ架線柱が残っていた頃の様子。 右に見える建物が現在はなくなり奥の方にかつての貨物ホームらしきものが見えるようになりました。
2002(平成14)年3月31日撮影
踏切横に残る機器箱。 この踏切は「ユニチカ3号踏切」だったようです。 となると県道407号線クロスが「2号踏切」、「1号踏切」は・・・高師緑地内にあったのでしょうかね?



今も架線柱脇に残る警報器。 線路と道路を挟んだ対角線上にも警報器の台座が残っています。 線路兼道路を列車が通る時は当然動作したのでしょうがトラックが通るときは・・・鳴らなかったのかな?


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