花田信号所の側線

渥美線はJR・名鉄豊橋駅隣接の新豊橋駅が起点ですが国鉄(JR)と渥美線の貨物受け渡しを行っていたのは700m南にある花田信号所でした。 渥美線貨物営業が廃止になる1984(昭和59)年2月ダイヤ改正前日の1月31日までは花田操車場貨物駅と名乗っており、新豊橋駅や柳生橋駅とは隣接しているもののれっきとした別個の駅扱いです。 操車場開業時期は不明なのですが師団口(現・愛知大学前)〜新豊橋(初代:後述)開通で国鉄連帯運輸が始まる1925(大正14)年5月1日に開業したものと見て良さそうです。 貨物廃止後もレール輸送貨車や中古電車譲受時にはJRとの車両受け渡しで使われ、信号閉塞区間も区切られていますが2014年現在授受線はもう使用していない様子です。



駐車場から見た花田信号所側線群。右から渥美線本線、柳生橋駅への引込み線、引上線。 JRと渥美線は2013年末現在でもレールは繋がっていますが引上線の有効長が短縮され、電車1台分もなさそうです。 側線に残る架線は渥美線ともJR線ともつながっておらず既に意味のないものになってます。 現役時代は国鉄授受線まで直流600Vで電化されており、豊橋鉄道の入換用電気機関車デキ201、デキ211や電動貨車デワ11が乗り入れてました。


渥美線の三河田原行き1800系1805Fが通過。アウトカーブで本線を行く電車を撮るのにもなかなか良い撮影地ですね。 渥美線の電車は1800系1車種しかないのですが各編成色違いになったので全編成をここでコンプリートするのも良さそう。 中央に後ろ姿が見える信号機は花田信号所の下り出発信号機。 その右の白い建物が信号所の建屋です。かつてはその右奥に渥美線貨物列車の発着線が有りましたがこちらは貨物営業廃止後早くに駐車場化されています。


柳生橋駅ホームにまで達していた側線も大部分が撤去され駐車場敷地となっています。 渥美線は花田信号所から柳生橋駅まで10‰下り勾配になっているので引上げ線は盛り土をして平坦にしてました。 その跡地の駐車場も同じく敷地を平坦にするため柳生橋への側線を含めて埋め立てているようです。 左の写真と同一地点に側線があった頃。 柳生橋駅までの側線が残っていた頃。 元東急の1800系に置き換えられて引退した元名鉄の釣り掛けパノラマカーこと7300系モ7308?(車番がよく読めないのですが・・・)以下8連が留置中。 モ7308左には引上げ線の車止めも見えてます。
撮影日:2001.05.04


以前は渋い駅舎のあった柳生橋駅も改装されました。 渥美線ホームの向い側まで側線が延びており、こちらで貨物扱いを行っていたと見られます。 柳生橋発着の貨物列車というのは花田操車場の側線しか通らず、渥美線本線を走ってないことになります。 となると豊鉄の運賃が掛けられないことになりますがどうしてたのでしょうね。 花田跨線橋から見た花田信号所。ちょうど新豊橋行が通過中です。 左の車が並んでいる駐車場がかつて渥美線貨物の着発線があった場所。


新豊橋駅は何度か移転しており、まずは1927(昭和2)年10月1日に開業当初の場所から400m延伸し豊橋駅前へ移転して、初代新豊橋駅は花田駅となります。 ところが花田駅は新豊橋駅(U)と近すぎ戦時中に休止、戦後一旦復活しているようですがまたすぐに廃止になっています。
書類上での新豊橋(T)→花田駅と花田操車場との関係性はよくわかりませんが、貨物の連絡は1984(昭和59)年2月1日の廃止まで続いていたものと思われます。 その後2008(平成20)年6月5日にはJR側の貨物扱い跡を整理して新豊橋駅(V)が開業しています。


花田跨線橋を渥美線寄りから見た様子。 JR豊橋駅へは右の線路が続いており、奥の現在保線基地になっている場所が小貨物ヤードでした。 保線用の砂利輸送基地なのか少し前までホキ800がたくさんいたのですがJR東海のホキ800は全廃されました。 花田跨線橋下に残っていた旧花田駅のホーム残骸。 2008(平成20)年の新豊橋駅〜花田跨線橋新線付け替え工事の際に撤去されました。
撮影日:2005.05.04


参考:名古屋鉄道百年史(名古屋鉄道刊)
 渥美線 まぼろし の 豊橋 伊良湖岬間 鉄道 を めぐって(渥美半島郷土研究会)

特記以外は撮影日:2013.12.21


渥美線の側線3へ 廃線奇行へ

inserted by FC2 system