名鉄三河線連絡線
東海道の宿場町知立(ちりゅう)は東海道本線のルートからそれ、知立に鉄道がやって来たのは大正になってからのことでした。 名鉄三河線の前身三河鉄道が1915(大正4)年10月28日に刈谷新(現刈谷)〜知立(現三河知立)を、1920(大正9)年7月5日には知立〜土橋を開業させました。 さらに1923(大正12)年4月1日には名鉄名古屋本線の前身である愛知電気鉄道が開業し6月1日には仮駅だった新知立駅(→知立→東知立 廃止)が三河鉄道交差部に本開業しました。
両線は当初レールがつながっておらず列車の直通はできませんでした。 そこで知立信号所(知立〜牛田にあった)と三河線知立駅を結ぶ連絡線がつくられました。 なお知立、新知立両駅は名鉄合併後に統合、知立駅となり長い構内連絡通路で結ばれました。 しかし連絡線の線形から名古屋方面から三河線への直通列車が運転できず1959(昭和34)年4月1日に現在の知立駅が開業、 旧知立駅は名古屋本線側が東知立、三河線側が三河知立と別の駅に戻ってしまいました。 連絡線は貨物列車用に存置されたものの、貨物列車の廃止により1984(昭和59)年4月1日に廃止されています。
地図


元は知立駅だった三河知立駅。現在は無人で側線は保線車両の留置場所となっています。 連絡線は三河知立より猿投方面、名鉄知立寮裏手で分岐します。


三河線と離れしばらくは保線車両や資材置き場となっており線路は現役(?)のようです。 分岐後しばらくなかった架線柱が現れます。線路は一応複線です。


小さなホッパ車やパワーショベル(鉄道専用)があります。 線路には草が生え保線車両には蔦が絡んでますが最近使われたことはあるのでしょうか。 県道285号線との交差部分で現役部分(?)が終わりますが踏切のレールは残ってます。少し前まで警報機も残っていたと思いますが・・・


踏切より先にもレールは残り、一部には架線まで張られています。 旧知立信号所跡、名古屋本線側の分岐器が撤去され、連絡線側の架線柱がなくなってます。


番外編・三河線旧線
三河線(山線)が三河知立を出て名古屋本線をくぐってきたこの地点で手前の生垣へ線路が延びていました。 こちらはテニスコート(名鉄が経営)化して跡形もありません。刈谷方面へ延びる三河線(海線)にすぐ合流します。

撮影日 2004.01.18



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