東濃鉄道駄知線
中央西線との接続駅の土岐市から東駄知までの10.4kmを結んだ路線です。1922(大正11)年1月11日新土岐津〜下石(おろし)が開業。 同年10月10日には山神、翌1923(大正12)年1月22日には駄知、1924(大正13)年9月28日には終点東駄知までが開通しました。
1928(昭和3)年3月3日には起点が新土岐津から国鉄(現在のJR)との接続駅土岐津(現在の土岐市)までが延長され、全線が開通。
開業時は蒸気機関車により客車・貨車を牽いていましたが、1929(昭和4)年にはガソリンカーを旅客列車に導入しました。
第二次世界大戦中はガソリン入手難ぼため再び全列車が蒸気機関車に戻ったほか、駄知〜東駄知の旅客営業が休止になりました。 また戦時の交通統合政策により近隣の笠原鉄道や複数のバス会社と合併して東濃鉄道が発足。駄知鉄道は東濃鉄道駄知線となりました。
戦後はガソリンカーが復活、さらに1950(昭和25)年7月1日には直流1500Vで電化されました。
電化後は順調に旅客、貨物とも需要が延びていましたがモータリゼーションのため停滞。 そんな最中の1972(昭和47年)7月13日の水害で土岐川橋梁が流出したため運休となり、そのまま1974(昭和49年)10月21日に廃止されてしまいました。 →地図


土岐市駅の駄知線ホーム跡。JR中央西線1番線名古屋方にある行き止まり式ホームでした。 線路跡は東濃鉄道が経営する駐車場になってます。 元の駄知線連絡通路。駄知線廃止後は塞がれてましたが、バリアフリー化により、 改札口側の階段がエスカレーターに改装されたため復活しました。


中央西線と並走していた部分。開業当初の新土岐津駅跡と思われる付近の駄知線ガード跡。 山に突っ込んでいく中央西線と分かれると廃線跡は遊歩道になります。


駄知線の廃止原因となった土岐川橋梁跡。水害で4本の橋脚のうち駄知側2本は根こそぎ倒壊、 第2橋脚も根元を残して折れてしまいました。 鉄橋が流された跡は何も残ってないように見えますが・・・。 20m程上流に平行して架かる道路橋から見下ろすと明らかに人工物と思われる四角い物体(赤丸の中)が川底に見えます。 位置的に土岐川橋梁第1橋脚(土岐市側から数えて)の土台跡ではないかと思うのですが・・・。


神明口駅跡。名鉄、東鉄運輸のトラック営業所になっているようで付近にはトラックが並んでます。 土岐口駅下り場内信号機の土台と点検梯子の根元。駄知線は最後まで腕木式信号機を使っていたそうです。


土岐口駅上り出発信号機の跡(赤丸の中)と思われるものもありました。 以前は残っていた土岐口駅ホーム跡は住宅や工場に変わっています。


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