螢田砂利線 |
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相模川水系と並び酒匂川水系の河川も砂利採取が盛んにおこなわれていました。
酒匂川本流の砂利採取は東海道本線鴨宮駅や御殿場線下曽我、松田駅から分岐する砂利線がよく知られて(?)いますが、
小田急線からも短いながら砂利線が分岐していました。
螢田駅は小田急で戦後初の新駅として1952(昭和27)年4月1日に開業しました
(太平洋戦争中に近くにあった軍需工場への仮駅として一時存在していたという話もある)。
砂利線も駅開業時にできたものと思われます。
→地図 国土地理院HPの国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムで公開されている航空写真から 推定すると砂利線の開業は螢田駅開業と同時、廃止は1960年代前半かと思われます。 参考にした画像を↓にリンクを張っておきました。 ・1949(昭和24)年3月19日米軍撮影 螢田駅開業前・・・不鮮明だが砂利線はまだ建設されていない様子。 ・1952(昭和27)年11月18日米軍撮影 螢田駅開業直後・・・砂利線とホッパらしいものも見える。砂利線末端から河原にナベトロ線らしいものも? ・1961(昭和36)年10月17日国土地理院撮影 ナベトロ線(?)消滅。砂利線はまだあるが使用されているかは不明。 ・1967(昭和42)年10月2日国土地理院撮影 砂利線消滅。砂利線跡と交差する小田原厚木道路の高架建設中。 |
螢田駅小田原方の砂利線分岐跡と思われる場所には保線車用の留置線があります。 |
しかしこの留置線も既に使われていないようで本線手前でレールが切れてたり、レールの継ぎ目板も外されてたりします。 |
小さな暗渠の橋台は護岸になるので残っているかもと思っていたものの撤去済み。ショボーン(´・ω・`) | 螢田2号踏切から螢田駅方面を臨む。砂利線はここまで本線と並行しています。 |
周りの道路、線路、建物と向きが揃っていない建物、道路が続いている場合は廃線跡の疑いあり・・・ 写真中央左寄りの薬局と後の住宅群が砂利線跡のようです。 | 辿っていくと住宅に挟まれた用水路の両岸に橋台が残ってます。 護岸や住宅の塀に埋もれてはいますが、上手く護岸として利用されてますね。 |
小田原厚木道路をくぐるとただの住宅地の路地となり小田原ドライビングスクールの北で堤防に突き当ります。 この辺に積み込み施設があったようですが面影ゼロです。 | ナベトロ線が続いていたものと思われる酒匂川上流方。 砂利線があった当時と比べ流路自体も大きく変わっているようで砂利採取の遺構はありません。 |
僕は生まれがこの螢田駅のすぐ近所で子供の頃はよく通っていた場所ですがこんな線路があったことは当然ながら全く知りませんでした。
(まあ小学生にもあがってない頃の話なので当り前か・・・) 廃線好きになっていながら灯台下暗しというか何といいますか、変にもどかしい感じがしますね。(^ ^;) 隣の足柄から出ていた専売公社専用線は廃止が比較的最近(僕が生まれた頃もまだ走っていたが物心つく前の話)で遺跡が多いためか有名(?)ですが、 こちらはあまり知られていないようですね。 |
撮影日 2009.03.27
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