名古屋鉄道鏡島線
名鉄岐阜市内線の千手堂電停から鏡島(かがしま)方面へ向かっていた路線です。 鏡島線は岐阜市内線や美濃町線の路面電車タイプの車両が乗り入れていましたが法規上は鉄道扱いでした。
この線は1924(大正13)年4月21日に千手堂〜鏡島が開業、翌年には市内線の徹明町へも乗り入れが始まりました。
主に地元住民や中山道沿いにある鏡島弘法への参詣客が利用していましたが、太平洋戦争中の1944(昭和19年)には森屋〜鏡島が休止されてしまいました。
戦後は1950(昭和25)年岐阜東西通りの拡幅工事により線路の位置も道路とされ路面電車に改修されました。 また1953(昭和28)年から休止区間が順次運転再開となり、1954(昭和29)年9月10日には合渡橋(後の西鏡島)まで延長されました。
しかしモータリゼーションによる乗客の減少などにより1964(昭和39)年10月4日で廃止、バス路線に転換されました。 なおバス化後も西鏡島へ行くバスは名鉄が運行していたのですが、2004(平成16)年9月に名鉄バスが岐阜地区から撤退。 バスの運行は岐阜バスが引き継ぎ西鏡島から名鉄は姿を消しました。
地図


千手堂交差点。新岐阜駅前行のモ770が通過中です。かつては左前方の道路へ鏡島線の線路が延び、前方のビルの場所には駅舎もあったそうです。 森屋駅跡。元々全線が鉄道線でしたが1950(昭和25)年に千手堂からここまでが路面電車化されました。森屋バス停西鏡島行側に駅舎があったそうです。


森屋を出て間もなく中山道と交差しますがここから専用軌道になっていました。 前のビルの方向に線路が延びていたようです。 線路跡は現在道路になっています・・・といってもすっかり住宅地化して当時の面影は何にも感じられません。





弘法口駅跡。電車の交換設備があったせいかここだけ道路の幅がやや広くなっています。 終点西鏡島駅跡。現在の県道河渡橋の下、長良川の堤防下で線路が尽きていました。


線路跡横に名鉄の用意境界標が埋もれていました。 名鉄バス関係のものなのか鉄道時代からのものなのかは不明です。 鏡島線廃止後西鏡島までの路線バスは名鉄が運営していましたが2004(平成16)年9月30日限りで名鉄は撤退、岐阜バスが運行を引き継ぎました。

撮影日 2004.12.05





西鏡島で発車待ちの徹明町行モ500


戻る

inserted by FC2 system