加子母森林鉄道
中津川から下呂に向かう途中、美濃と飛騨の境に舞台峠という名前の峠があります。 裏木曽と呼ばれ良質のヒノキを産出するこの地域、切り出された木材は舞台峠に集められ荷馬車により下呂へ陸送、 さらに益田川(飛騨川)で名古屋、桑名へ流送していました。 舞台峠に加子母付近の御料林を管理する帝室林野管理局名古屋支局下呂出張所舞台峠伐木事業所が置かれ、 1922(大正11)年には舞台峠事業所〜東本谷5.3kmに名古屋局管内で初めての森林鉄道も敷かれました。
森林鉄道ではプリマウス(PLYMOUTH)のガソリン機関車が使われましたが、舞台峠〜下呂では相変わらず馬車が使われていたそうです。 下呂から先の流送は1930(昭和5)年11月2日の高山本線下呂開通後、鉄道輸送に変わりました。
戦後、御料林は国有林に変わり、下呂出張所は下呂営林署になりましたが、舞台峠事業所は付知営林署に移管されました。 1957(昭和32)年にはトラック輸送に切り替わり廃止になったようです。 →地図


森林鉄道の起点となっていたという舞台峠の貯木場跡。 加子母海洋センターという施設が建っており、林鉄はおろか営林署関連の施設も残っていません。
林業関連の施設といえば隣に製材所があるくらいです。
林鉄とは直接関係ないですが「加子母の大杉」。ここで行われる「ナメクジ祭」というのが気になるところ。




集落内に廃線跡は見出せませんが徐々に谷が狭まってきます。 因みに山の向こうは木曽森林鉄道も通っていた三浦ダムです。 集落を外れると林道脇の山腹に廃線跡らしきものが現れます。



木曽でもよく見られる石垣積みの路盤。

路盤に登ってみると丁度ナローゲージの幅の土地が山の方へと続いています。


間もなく路盤は林道に飲み込まれ消滅。乙女橋の横にのみ林鉄のものと思われる橋台が残ってます。 この橋は林鉄廃止後、一旦林道に利用されたようですが、1967(昭和42)年に現在の橋へ架け替えられています。 乙女渓谷キャンプ場に突っ込むと廃線跡はもはや全くわかりません。 申し訳程度に1本だけレールが刺さってました。



加子母森林鉄道は名古屋営林局内最古参の路線ですがほとんど資料にも登場せず、当時の地形図にも記載されていない謎の路線です。
資料によっては一の谷への支線があったとの説もあります。 また、東本谷周辺の御厩野や白谷にも森林鉄道があったといいますが、開業時期や廃止時期も全くわからず、その存在自体も明らかではありません。


加子母森林鉄道の車両

山トロとを牽くPLYMOUTHのガソリン機関車(イメージ)

「加子母の歴史と伝承 続編」にPLYMOUTHのガソリン機関車(PLYMOUTHは米国FateRootHeath社が製造していた機関車のブランド名)が写っていました。 ガソリン機関車がアメリカから輸入されるようになった大正時代に全国の森林鉄道などの産業鉄道に同じタイプの機関車が導入されています。 運転台は後部が剥き出し、変速装置はフリクションドライブなどガソリン機関車としては最初期のものです。
戦時中は代燃車(木炭車)となっていたようで写真では木炭ガス発生装置らしきものを機関車本体に装着していました。
貨車は小規模な森林鉄道らしく「山トロ」といわれるトロッコです。写真では7両以上つないで山に上る様子が写されており、 結構長大編成(?)の列車が走っていたようです。




 一世紀の年輪(名古屋営林局)
 加子母の歴史と伝承 続編(加子母村)

撮影日 2007.08.22


廃線奇行へ

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