春日井の軍用線
明治時代から名古屋の千種や熱田には陸海軍の兵器弾薬を製造する工廠が存在していました。 日中戦争開戦以後武器の増産が必要となり、農村地帯だった鳥居松、篠木、鷹来村に名古屋市内にあった陸軍工廠の分工場がつくられることになりました。 用地買収は村の人を突然集め憲兵監視の元で土地の強制収用を認めさせるというやり方だったそうです。
まずは1939(昭和14)年に鳥居松工廠が建設され、専用線も同時に敷設された模様。 翌1940(昭和15)年には鷹来工廠も建設、火薬を扱う第6工場(西山工廠)は近接すると危険なため離れた場所に建設されました。 こちらは専用線使用開始が1942(昭和17)年9月と少し間が開いています。
これらの工廠では99式短小銃などの銃火器が製作されていましたが、風船爆弾も製造していたそうです。 どちらも専用線は原料、製品の輸送に使われていました。 また鷹来工廠へは工員の通勤用にディーゼルカーが使われていたようです。 鷹来・西山工廠は駅からも遠いので通勤列車が運転されていても不思議ではありません。
また名鉄も小牧方面から鷹来工廠まで鷹来線の建設を進めています。
戦況が悪化すると工廠も空襲を恐れ東濃地方などへ製造ラインを部分的に疎開させていきました。 実際にこれらの工廠群は空襲を受け敗戦時にはかなり破壊されていました。
戦後不要となった鷹来工廠専用線は撤去、鳥居松工廠跡には苫小牧製紙(現王子製紙)が進出して専用線は現在でも活用されています。
小牧、春日井地区の路線網。かなりややこしいので今回取り扱う内容と関係の薄い路線A(東海交通事業城北線)、B(桃花台新交通(廃止済))は略記でご勘弁をm(_ _)m
 @航空自衛隊小牧基地専用線
 A名鉄勝川支線
 B鳥居松工廠専用線→王子製紙春日井工場専用線(現役)
 C砂利取り線(鳥居松工廠建設のため敷設か?)

今回は鷹来工廠専用線とC砂利取り線を扱います。 Bは専用線として現役なので春日井のティッシュ箱機関車をどうぞ。


鷹来工廠専用線

春日井駅から神領へ向かう中央西線の北側に並行して続く廃線跡。 中央西線複線化時に少し削られたようで、線路一本分よりやや狭い草地が続いています。 中央西線と離れて行くところにある橋台。 以前はここに水路があったそうですが現在は未舗装道のガードとなっています。



中央西線から離れて行く廃線敷。 空き地となっている部分が尽きると住宅になっていますが、道路が線形そのままに続いています。 この先は廃線跡が道路に合流しており、線形以外に鉄道の面影はありません。 当時は一面の田園地帯だったようですがすっかり宅地化しています。 途中結構な勾配を上りきると(かつては築堤を築いてじわじわ上ってきていたはず)春日井分廠へ行く支線の分岐点。 右に分岐していたはずの線路は跡形もなし。周囲の道路も大部分が新設で比較対象物に乏しいのが難点。



春日井分廠支線が分岐した直後で交差する古い道。 線路が通っていたと思われる部分だけ起伏がありますが踏切の名残でしょうか?


支線の終点、春日井分廠があったと思われる場所は家電量販店のテクニカルセンターになっています。 正式には名古屋陸軍兵器支廠春日井分廠と言い、銃器を格納する倉庫があったようです。 支線は右の赤線の中を通っていたものと思われます。


一方の本線は国道19号線と交差し、八田川に突き当たる部分で線路跡の道路が終了。 八田川が支流と合流しているのですが、専用線があった頃は専用線橋梁の上流側に合流地点があったのが下流側で合流するように河道が付け替えられています。
そこを越えると田園地帯。 画面左から中央奥へ延びる電線の下が線路跡。奥には鷹来工廠跡の敷地が広がっています。
道路の左寄りが線路跡。信号を渡ると鉄道門があり、すぐに鷹来工廠のプラットホームがあったそうです。 専用線現役時は右の日通の辺りに貨車で運ばれた材料などを納める倉庫群があったとか。





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