鷹来工廠の南西角には鷹来工廠の碑があります。 工廠跡の敷地は名城大学農学部の実験農場や春日井市総合体育館、パナソニックの工場等になっています。 名城大学農学部の実験農場になっている部分にはかつての鷹来工廠本館が事務棟に使われています。 屋上はカモフラージュのため草が生やされており、現在もそのまま残っているとか。


しばらく工廠内を走り、鷹来町東交差点から北東へ方向を変えて出て来ます。 西山工廠へ向かうわけですが、横の道路も当時の工廠同士の連絡道路で専用線と同時に建設されたとか。 専用線部分だけ草地や畑になって延びています。 そして国道155号線との交差地点にある架道橋。 専用線は戦後1949(昭和24)年に撤去され、賠償物件としてレールなどの資材はフィリピンへ送られたといいます。 八田川の場合と言い、ガーダーはいらなかったのかな??


国道から見るとこんな感じ。錆びてはいますが廃線には見えませんね。 近年多い耐候性鋼の鉄橋ならば丁度こんな感じの見た目ですしね。 西山工廠跡の自衛隊駐屯地に来てみると最近まで残っていた鉄道門が新しく作りかえられていました。 唖然としていたら丁度自衛隊のRV車が門扉を開けて出て来ました。


鷹来工廠の通勤用に気動車を使用しており、元筑前参宮鉄道(後の国鉄勝田線→廃止)のディーゼルカーのミヤ101か103を軍が徴発して使用していたそうです。
ミヤ101,102が1932(昭和7)年、103が1934(昭和9)年に新潟鐵工所でつくられています。 昭和初期の気動車と言えばガソリンカーが主流でしたが、当時はまだ実用化途上にあったディーゼルカーでした。
他社がディーゼルカーの導入に失敗するのを尻目に筑前参宮鉄道は3両ともしっかり使いこなしていたとか。 太平洋戦争中に筑前参宮鉄道は1942(昭和17)年9月に西日本鉄道に統合され、さらに1944(昭和19)年5月には戦時買収により国鉄勝田線となります。 ミヤ101〜103も国鉄籍になった(※1)ようですが、燃料統制のため車輌として使われた形跡はありません。 遊休車ということでそのうち1両を軍が徴発して鷹来工廠の従業員輸送に使った(※2)と思われます。
軍用ということで当時は入手困難だった軽油も使うことができたのでしょう。

戦後になり三岐鉄道が1951(昭和26)年に加藤車輌で新製したというキハ7がこの車輌に当たると考えられています。 書類上では新製となっているもののミヤ101〜103と車体がよく似ています。
三岐には1946(昭和21)年にエンジンのない状態で入線し、ディーゼルエンジン入手まで富田の車庫に保管されていたともいいます。 三岐では電化後も電車の数が揃うまでは国鉄関西本線直通四日市乗入れ列車などに使われていましたが1961(昭和36)年4月に廃車。
北陸鉄道に譲渡されて、エンジン換装やステップ新設など改造が施され能登線のキハ5162(※3)として使われ1968(昭和43)年12月に廃車されています。 北鉄で廃車後は漁礁として松任沖の日本海に沈められました。
この気動車は戦時中のゴタゴタでまともな記録が残っておらず今となってはわからないことばかりです。 今も謎を秘めつつ海底に佇んでいるのでしょうか・・・

(※1)国鉄籍に入る前の西鉄時代に三岐に譲渡されてそこで徴発されたとも言われる
(※2)ミヤ102は戦後車体だけ鳥栖で倉庫として使われていた模様
(※3)キハ5160形・・・因みにキハ5161という車輌は存在しない


三岐鉄道キハ7
製造当初ミヤ101〜103はベンチレータがお椀型だったのが三岐ではガーラント型に交換。
因みにベンチレータ数は新製時ミヤ101,102が3個、103は5個。 三岐キハ7のは3つ・・・とは言えやけに真ん中寄りで両端が不自然に空いている・・・とすると三岐キハ7は元のミヤ103で、ベンチレータ交換の際に両端の2つを撤去したのかも??
とは言えこれだけでは推測の域を出ません(- -)

北陸鉄道キハ5162
当初は浅野川線で三岐時代の姿のままサハ代用で使われていたとか。 その後エンジン換装などの改造が施され能登線にてディーゼルカーとして使用。





砂利取り線

詳細は分かりませんが砂利取り線と思われます。 鳥居松工廠の造成に使う砂利採取のため庄内川へナロー軌道が敷かれており、その軌道を国鉄線と同じ1067oゲージに改良したのかも知れません。 鳥居松工廠にはすんなり入れるのに対し春日井駅へ入線するにはスイッチバックが必要という線形もそのためかも・・・
専用線一覧表によれば国鉄側線で使用者は愛知県、作業キロ1.5km。 機関車は私有機がいたようですが蒸機か内燃機かも不明。 昭和30年代初頭には廃止されたようです。


駅付近の線路は宅地化、春日井駅南口から少し南に行った場所から庄内川にかけては路地になっています。 カーブした線形が線路っぽい以外は全く面影はありません。 専用線末端から砂利採取地跡(?)を見たところ。 この辺にもナベトロ線が張り巡らされていたのかも知れません。



参考:名古屋陸軍造兵廠史 陸軍航空工廠史(加藤 勇 名古屋陸軍造兵廠記念碑建立委員版)
 春日井市史(春日井市)
 王子製紙社史 戦後30年の歩み(王子製紙株式会社)
 トワイライトゾーンMANUAL12(名取 紀之、滝澤 隆久編 ネコ・パブリッシング) 春日井の軍用線跡(吉田 明雄)
 春日井の歴史ウオッチング(伊藤 浩 著/刊)
 春日井に鉄道がやってきた〜中央線の歴史〜(春日井市教育委員会文化財課)
 内燃動車発達史〈上巻〉戦前私鉄編(湯口 徹 著 ネコパプリッシング刊)
 内燃動車発達史〈下巻〉戦前メーカー編(湯口 徹 著 ネコパプリッシング刊)

撮影日 2012.07.01

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