神鋼造機専用鉄道、揖斐川電気工業青柳工場専用線(美濃青柳)

美濃青柳駅東方にある神鋼造機へ延びていた1.3kmの専用鉄道と駅に隣接する揖斐川電気工業(現イビデン)青柳工場に入る0.1kmの専用線。 貨車の移動方法は前者ではガソリン機関車と蓄電池機関車、後者は手押しでした。

1934(昭和9)年に岸和田紡績(綿紡績)、岸和田人絹(レーヨン)の工場ができたため通勤や貨物の便を図るため最寄りの伊勢電気鉄道養老線上に駅が設置されることになりました。 こうして美濃青柳駅が1934(昭和9年)6月1日に新設。 1934(昭和9)年10月13日に伊勢電より岸和田人絹専用線新設による美濃青柳駅配線変更届けが出ています。 後の変遷はややこしいので以下工場別に。

1.神鋼造機本社工場
岸和田人絹は経営難が予想され1938(昭和13)年に大日本紡績(現ユニチカ)と合併、同社大垣南工場に。 しかし同社には隣の西大垣駅傍に同じレーヨン製造の西大垣工場もあることから1941(昭和16)年に帝国人造絹糸へ譲渡。 帝国人絹としては長く続かず休止工場となってしまいます。
操業停止後1943(昭和18)年に神戸製鋼大垣工場となり兵器を生産しました。
戦後1950(昭和25)年に神戸製鋼から独立し、社名は振興造機となり・・・と言えば国鉄形気動車ファンにはお馴染みですね。 DMH17系エンジンやTC-2形トルクコンバータなど気動車の心臓部をつくっていた会社です。
1964(昭和39)年には神鋼造機と社名が変わり、発電機や試験機など動力関係の装置を製造しています。
専用鉄道はというと専用線一覧の1970(昭和45)年版まで記載はありますが、1964(昭和39)年版以降使用休止となっています。 1957(昭和32)年にはガソリン機関車が森製作所へオーバーホールに出されていることから昭和30年代は使われていたものと思われますが・・・。

2.揖斐川電気工業青柳工場
戦時中の経済統制により1941(昭和16)年7月に岸和田紡績も大日本紡績(現ユニチカ)と合併し同社大垣南工場(U)に。 しかし同工場も1942(昭和17)年1月に操業を休止。 翌1943(昭和18)年6月に大日本紡績は揖斐川電気工業に資本参加するため同工場を現物出資、揖斐電青柳工場として化学工場に模様替えし、海軍の探照灯用カーボンを製造します。
戦後は映写機や医療用などの民需カーボンの生産を行っていたようです。
専用線一覧では1970(昭和45)年版まで専用線の記載が見られます。

美濃青柳駅の貨物取扱は1975(昭和50)年7月10日に廃止、側線も撤去され1面1線の無人駅となっています。


美濃青柳駅ホーム上から大垣方を見た様子。 万年塀の向こうはイビデン青柳工場。 イビデンの側線があった部分には側線撤去後万年塀が建てられて専用線の面影はありません。 美濃青柳駅の桑名方。 イビデンの側線から桑名方に延びていた神鋼造機専用鉄道。 万年塀の向こう側、イビデンの工場内を養老線と並行して通っていたようです。


桑名方には複線分の木製架線柱が残ります。 こちらは東側のイビデン・神鋼造機線と逆に西側へ分岐していた側線の跡。 旅客ホームの裏には貨物ホームも残っています。 神鋼造機専用鉄道はイビデンの工場南端付近で養老線と離れます。 線路が工場から出て来ていた跡に鉄道門の門柱が残っています。 万年塀に塗り込められているもののタイル張りの立派なもの。


鉄道門を通り過ぎ道路を渡ると工場まで全く痕跡なし。 アパートと隣の公園の敷地境界がカーブしていた路盤の名残。 駐車場部分が線路跡。 養老線と鉄道門、カーブ路盤跡の位置関係。 東へ向けて急カーブしていました。 専用鉄道現役時は一面田園風景でしたが現在では完全に宅地化してます。


宅地化されて消え失せた路盤ですが、短いながら道路化された部分が・・・。 とはいっても周囲の住宅や道路に対して若干角度の違うという程度で至って普通の路地です。

途中の江西排水路に架かっていたと思われる橋梁も全く痕跡なし。 道路を渡って神鋼造機の工場に入っていたのですがここも痕跡なし。 工場内には岸和田人絹時代からのものと思われる建物も僅かながら見られます。


神鋼造機専用鉄道の車輌
当専用鉄道前身の岸和田人絹専用鉄道開業時はガソリン機関車と蓄電池機関車が1台ずつ用意されました。 一般的に動力の違う機関車を持つと同種の機関車を2台持つのよりコストが嵩みます。
化学工場なのでガソリン機関車では危険な場所の入換には蓄電池機を充てたのでしょうか? 岸和田人絹大垣工場自体が実験場的な要素が強かったとのことから、あるいはガソリン機関車と蓄電池機関車を比較使用していたとも考えられそうです。
工場の持ち主が変わって以降も専用鉄道末期までガソ機は在籍していたようですが蓄電池機に関しては不明です。
1935(昭和10)年森製作所製の8tガソリン機関車。
全長5240o、全幅1710mm、全高2510mm
連結器は簡易自動連結器。
塗色は分からないので推測。
因みに価格は5,700円(当時)だったとか。
1935(昭和10)年日本輸送機製の8t蓄電池機関車。
全長4220o、全幅2000mm、全高3170mm
連結器は簡易自動連結器。
塗色は分からないので類似機より推測。
前面両脇の長円形窓がアプト電機EC40を思わせますね。
因みに価格は9,600円(当時)とガソリン機よりかなり高価。


参考:鉄道史料 伊勢電気鉄道史(上野結城著 鉄道史資料保存会)
 養老線開通70年のあゆみ(近畿日本鉄道西大垣駅編集)
 神鋼造機30年史(神鋼造機株式会社)
 イビデン70年史(イビデン株式会社)
 ユニチカ百年史(ユニチカ)
 専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)

撮影日 2012.08.18

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