以前の渡刈駅跡。架線柱の台座とプラットホーム跡の土盛りが寂しく残っているだけでした。

渡刈駅を出て浅い切通しとなっていた区間は東海環状自動車道にぶった切られています。 10年前は影も形も無かった大規模構築物にただただ唖然・・・。


東海環状道の反対側には僅かに築堤が残ってます。

その築堤と道路を挟んで反対側に挙母線跡地緑道の石碑があります。


矢作川橋梁へアプローチする築堤途中で明治用水を渡っていた跡には大樹寺方のみ橋台が残ってます。 矢作川左岸にあった産卵保護禁猟区のご案内、川中に橋脚の土台が残っているそうですが今回は省略。


矢作川左岸のガード跡。以前は一旦停止標識の横に橋台が残っていたのですが・・・。 左の写真の場所に以前残っていた橋台。



矢作川から台地に上に上ってくる部分は道路になってますが、 沿線に住宅地が造成されており以前の長閑な雰囲気が変わってきてます。 道路を横断した左側に細川駅のプラットホームがありました。 細川駅のすぐ先にある小さな架道橋。鉄道時代の橋桁が歩道に利用されています。




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