愛知紡績安城工場専用線
1934(昭和9)年に辻紡績の工場ができており、専用線もこの頃に敷設されたものと思われます。 専用線は新安城(専用線があった頃は今村)〜工場の0.5km。 電化されており、西尾線に接続していたため1960(昭和35)年3月27日までは架線電圧600V、以降は1500Vとなったと思われます。

第二次大戦時、多くの紡績工場は軍需工場に転用され、辻紡績工場も軍需転換で愛知航空機になっています。
敗戦後GHQは平和産業である紡績業の設備新設を認め、不要となった軍需工場の紡績への復元が進みます。 さらに戦前の十大紡績会社以外に新興の紡績会社が生まれました。 これらのグループは「新紡」「新々紡」と呼ばれ、愛知紡績もその一つでした。
愛知紡績は1948(昭和23)年6月30日に設立され、旧辻紡績工場を紡績工場に復元し主力工場として綿紡績、綿織布を生産していました。 愛知紡績はその後本社を名古屋に移し、安城工場は一工場となります。 専用線の廃止は1960年代半ば(1964(昭和39)年までは専用線一覧に載っているのを確認)と思われます。
戦後は架線電圧昇圧まで電車改造電機デキ51が当専用線専属になっていました。
愛知紡績は紡績産業の斜陽化により、安城工場を1983(昭和58)年7月に閉鎖、紡績業から不動産業に転向しておりアイテックスと名前も変わっています。 →地図


新安城駅南側の旧専用線部分は保線車の留置線になっています。


留置線が途切れると右に急カーブ、カーブする道路沿いの住宅群が線路跡。 西尾線の木製架線柱は専用線現役時代から建て替えられておらず新旧定点を探すのに役立ちます。



側線が途切れ、名鉄の敷地を外れると開渠の橋台が両岸共残っています。 当線では最大の遺構でしょうね。 奥に見える線路は順に西尾線、名古屋本線。


橋台上部の枕木を置く部分はカントを付けるため傾斜がつくられています。 地図で測ると専用線の曲線半径は約120mの急カーブ。 入換運転なのでそう高速で走るとも思えませんがカントが相当つけられています。 さらに急カーブで続く線路跡の住宅群(道路右側)。 左奥が新安城駅、右の方・・・住宅の向こうには西尾線が通っています。



間もなく向こうに紡績工場跡に建つ巨大な団地が見えてきます。道路左が廃線跡。 紡績工場の由来を示したものでもないかと団地の周りをぐるっと回ってみたのですが何もなし(- -) 工場の名残は影も形もありません。カーブしていく道路に沿って右側が駅への線路跡。 右の植え込みに沿って手前に線路が敷かれ、右側に貨物ホームがあったものと思われます。




東レ岡崎工場専用線
矢作橋から駅南側にある工場までの2.8kmの専用線。 開業は1960(昭和35)年、廃止は1971(昭和46)年(1969(昭和44)年のDB-2廃車時点で運行は止めていたのかも・・・)です。
非電化で日通のスイッチャーDB-2が当専用線専属になっていました。 →地図


矢作橋駅豊橋側の本線南側に残る専用線跡のスペース。 矢作橋は砂利積込側線の方が有名(?)でこちらはあまり知られていない様子。 名古屋本線と別れると畑の区画に線路跡のカーブが見て取れますが、この先工場までは完全に宅地化して遺構は皆無です。


参考:鉄道ピクトリアル 2006年1月増刊号<特集>名古屋鉄道(電気車研究会 鉄道図書刊行会)
 鉄道ピクトリアル 2008年10月号(電気車研究会 鉄道図書刊行会) 600V時代の名鉄 西尾蒲郡線〔前篇〕(白井 昭)
 専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
 トワイライトゾーンMANUAL12(名取 紀之、滝澤 隆久編 ネコ・パブリッシング) 岡崎市内の貨物専用線 専用線のトライアングル地帯を回顧する(筒井 俊之)
 汽笛一聲 安城駅120年(安城市歴史博物館編)
 全国繊維企業要覧 各号(信用交換所総合事業部)
 繊維年鑑 各号(日本繊維協議会)

撮影日 2012.02.26

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