@旧中山道と交差する踏切跡。右に街灯が付いた木製電柱がありますが森林鉄道の電信線かは不明。 この辺には木製電柱が街路灯の支柱として残っていますが銘板が全て剥がされて4隅を固定した釘だけが残っています。 A中山道踏切の隣で袖ケ沢を跨ぎます。 橋台は林鉄のものが流用されている様子。 開渠の下に暗渠が付いた2階建て構造になっているのがユニーク。


B中山道は坂を上って神戸(ごうど)集落に入って行きますが林鉄は切通しで抜けます。 C切通しを抜けると林間の薄暗い道から神戸集落に入ります。


D神戸集落内かぶと観音(交差点右前方)前を通る林鉄跡の道。 ここで中山道と2度目の交差。中山道は右上(三留野宿方向)から左の木工所裏(ガードレールの見える辺り)へ通り抜けています。 かぶと観音は源平争乱期に木曽義仲が妻籠に砦を築いた折に自らの兜に付いた観音像を外して祀ったとのこと。 あくまで伝説の域を出ないとのことですが。 E集落内の神戸沢を渡ると作業軌道及森林鉄道に関する調査の件報告書(帝室林野局木曽支局 1935(昭和10)年)に載っていた戦沢・神戸沢作業軌道が分岐していた跡…なのですが宅地化して分岐跡は全くわかりません。 神戸沢は林鉄撤去後の1966(昭和41)年7月1日に蛇抜けを起こしており砂防ダムと護岸で固められています。 なお作業軌道が分岐していた辺りは現在の中央本線(複線化後の付替え新線)のトンネル真上でもあるようです。


F戦沢・神戸沢作業軌道は戦沢の手前まで蘭林鉄と並行しつつ上っていたようですが地形的に分岐は分からず。 この軌道は神戸集落の上で戦沢沿いから神戸沢沿いに出てバックの南木曽岳方向にある国有林の433林班(当時は133林班)付近まで延びていました。 G住宅地が終わり作業軌道は右上へ離れていく(実際に跡は見えませんが…^ ^;)と切通しを抜けると戦沢に出ます。


H戦沢を渡ると少し広いくなっています。 蘭林鉄末期の終点は和合分岐から1,232m地点なので距離的にはこの辺です。 三殿署の経営計画では昭和30年代前半期にこの辺に戦沢停車場を置いて三殿営林署材を輸送する計画でしたが実行されたのかは不明。 右に分岐しているのは戦沢林道。 I林道戦沢線の林道標。 国有林まで延びていない砂防ダム建設、管理用道路のためか南木曽森林管理署(←三殿営林署)ではなく南木曽町の文字が書かれています。


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