●戦前の貨車 木製、鉄製とも2台一組で1車を構成するボギー運材貨車と思われる。 木製車より耐久性に優れ軽量な鉄製車が主流となっている。 木製車体の方が軽いように思われるかも知れないが強度を得るために木材を厚くする必要があり補強の通しボルトや金具も余計に必要となるため組み立てると鉄製車より嵩張って重たい車体になってしまう。 有蓋車(便乗車)は人員輸送客車・貨車兼用の二軸車のようだがどのような形状だったのだろうか。 職員輸送用と思われる。並行してバス便があった蘭では旅客輸送は行っていなかったとのことだが与川線が一般人の便乗を許していたかは不明。 |
(表1)1935(昭和10)年度 蘭、与川森林鉄道貨車数
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(表1)の木製、鉄製運材貨車計176台の購入時期は以下(表2)の通り。 (表2)1935(昭和10)年度 蘭、与川森林鉄道運材貨車数
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●戦後の三殿営林署の貨車 1947(昭和22)年4月の林政統一により御料林が国有林へ、出張所が営林署となった直後の1948(昭和23)年の三殿営林署所属運材貨車は1935(昭和10)年度より6台減って170台となっているが実際に使用可能だったのは60台とあり稼働率は35%に過ぎない。 戦中、戦後の酷使と補修資材の調達難が尾を引いているものと思われる。 また機械及びその他用として53台の貨車が記載されているがこちらは代燃機関車用の代燃ガス発生装置搭載台車や作業軌道用の山トロではないかと思われる。 1950(昭和25)年には三殿署で大宮富士産業(後の富士重工業→現・スバル)のモノコックトロ試作車50型を試運転したことが特筆される。 モノコックトロは在来の木製、鉄製運材貨車のように台枠の継ぎ目を無くし、振動による車体の緩みが解消されメンテナンスの軽減、車体軽量化を実現した画期的な運材貨車だった。 この後野尻署伊奈川森林鉄道で改良型の試運転を行い、これらの使用成績を元に改良された量産品が全国の森林鉄道へ普及することになる。 (表3)1954(昭和29)年以降 三殿営林署貨車数(蘭、与川、柿其)(長野営林局統計書(長野営林局)各年度 より作成)
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●戦後の妻籠営林署の貨車 1955(昭和30)年度の蘭森林鉄道妻籠営林署移管前は作業軌道で使用する山トロを持っていたものと思われる。 実際には蘭線は起点付近の和合分岐点〜戦沢が三殿署管内材輸送に僅かに使われているだけだったためか貨車数の増加は一時的なものだった様子。 (表4)1954(昭和29)年以降 妻籠営林署貨車数(長野営林局統計書(長野営林局)各年度 より作成)
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