与川森林鉄道1級線 | |||||||||||||
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木曽川沿岸森林鉄道の一路線として建設された路線。
三殿土場からすぐの和合分岐点で蘭森林鉄道から分岐して与川の谷へ入っていました。
与川には江戸期に中山道が木曽川増水時に川止めで通行が遮断される羅天の渡りを迂回する与川道が沿線を通っていました。
中央線開通後は河止めの心配もなくなり与川道は主要道路の地位から転落し整備も遅れたためか妻籠営林署管内よりは後まで残りました。
路線の全廃は1966(昭和41)年度ですが1961(昭和36)年度中に三殿営林署所属の機関車運材貨車数が半減していることから与川線の実質運行停止はこの頃と見られます。 与川線は途中で下山沢線を分岐、終点の白口沢では延長線とも言える上山沢作業軌道(後に上山沢線)と接続しており、高曽根山(標高1,119m)を囲むように線路が敷かれていました。 |
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●路線データ | |||||||||||||
近代化遺産国有林森林鉄道全データ中部編を元に作成 ()内は残存区間距離
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帝室林野局五十年史を元に作成
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@三殿土場から500mの与川森林鉄道起点(和合分岐点)。左に分岐する道が与川森林鉄道跡。 名義が蘭森林鉄道と言うだけで与川線の列車も三殿土場まで直通するので三殿土場〜和合分岐点は実質的に共用区間で蘭森林鉄道が妻籠署に移管される際もこの区間は与川林鉄に編入され三殿署管理に留まっています。 | A和合分岐点から与川線はU字形で180度反転して三殿土場の山手を北進。 簡易舗装から砂利道になり林鉄跡らしい雰囲気が増します。 |
Bこの区間では御馴染みの宮内省帝室林野局の用地境界標もよく見られます。 これより先の区間では国有林(元・御料林)外の区間が長いにも拘らず用地境界標は全く見付けられませんでした。 | C土場の中を流れていた蛇抜沢の上流を木橋で渡ります。 「蛇抜け」とは土石流により沢沿いだけが大蛇が通りぬけて押しつぶされたかのような被害を被ること。 花崗岩が風化して脆くなった地質と急峻な地形から木曽ではこの蛇抜け被害が後を絶ちません。 林鉄の痕跡も蛇抜けで失われていきます(- -) なおヒノキはこういう地質の場所が大好きらしいです。 |
D以前は蛇抜沢の横に「国有林名よ(与)川森林鉄道敷第一国有地」と書かれた標柱が立っていました。
横に境界見出し標が見えますがこれは上の蛇抜沢木橋の写真右側に見える白い棒です。 2006(平成18)年4月30日撮影 |
E蛇抜沢を越え支流の北沢付近までは路盤が未舗装道になっています。 | F北沢と大沢田沢の間は廃線跡に土砂災害対策工事の工事専用道を建設中で立入不可。 この大沢田沢に架かる工事道の橋から先の区間は一般道路化されてます。 |
G大沢田沢先の道路化された廃線跡。カーブの向こうから運材列車が現れたら絵になるんですがね〜。 | H梨子沢を渡ると林鉄時代の石積みそのままの路盤が残ります。 道幅が狭いので慣れない人は車での乗入は避けた方が良いでしょう。 |
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