三重電気鉄道松阪線
三重電気鉄道松阪線は松阪〜大石20.2kmを結ぶ軽便鉄道でした。 1912(大正元)年8月17日に松阪軽便鉄道が松阪〜大石20.2kmの大石線を開業、翌年8月7日には平生町〜大口2.8kmの大口線も開業しています。 両大石からの木材輸送や大口港の開発による建設資材輸送に活躍しました。 また1927(昭和2)年には大石線が電化、1929(昭和4)年には大口線も電化されており、社名も1928(昭和3)年に松阪電気鉄道と改めています。 戦時中に松阪電気鉄道は四日市鉄道や北勢鉄道などと共に三重交通に統合され、大石・大口線は三重交通松阪線となりました。
戦後は元大口線の平生町〜大口が1948(昭和23)年に休止、1958(昭和33)年には廃止されました。 その後三重交通は1964(昭和39)年鉄道部門を三重電気鉄道として分離独立させましたが、松阪線は他線と比べ輸送量も少なくその年の12月13日の運行を最後に廃止されました。
なお三重電気鉄道は1965(昭和40)年に近鉄に合併され、三岐鉄道に移管した北勢線以外は現在でも近鉄の路線として営業しています。
地図


松阪駅松阪線乗り場や車庫があった場所は現在三交百貨店が建っています。その松阪駅を出ると道路に変わった線路跡が続きます。 線路跡の道は西へカーブし、カーブの終わる場所が平生町駅跡。この駅からは港へ行く大口線が分かれており、こちらも細長い公園になって残ってます。


県道147号線を越えると国道42号線の南側に路盤が見え隠れします。 この辺も開発が進んでいますが一箇所だけ廃線直後から時間が止まったように小さな鉄橋も残っていました。 人家が少なくなり峠越え区間に入った線路跡(画面中央から右方へと続く細い築堤)。 国道42号線の歩道から見下ろすと今にもカーブの向こうから吊り掛けモーターを唸らせて軽便電車が上って来そうです。


勾配を上るにつれて、より鉄道時代の面影が濃くなっていきます。 峠の上には蛸路駅のプラットホームと駅舎の土台が残っています。


ホームの上から松阪方面を振り返るとこんな感じです。 因みにこちら側は松阪方面乗り場、右側が大石方面乗り場でした。 蛸路〜下蛸路の線路跡、レールや枕木、架線がないだけでほとんど線路跡そのまま砂利道に小川を渡る開渠も残り、沿線のロケーションも抜群です。


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