美濃町線(新関〜美濃)
美濃町線は美濃電気軌道により1911(明治44)年2月11日岐阜市内の柳ケ瀬から上有知(こうずち)まで24.7kmが一気に開通しました。 因みに終点の上有知駅は後に美濃町に駅名変更、さらに線路が延長され駅の場所も市街地寄りに移動しました。
1923(大正12)年10月国鉄越美南線(現在の長良川鉄道)が開業し国鉄に美濃町の駅名をとられてしまい、美濃町線の駅名は新美濃町に、また国鉄線の近くに線路を一部移動し新美濃町駅も現在の「旧美濃駅」の場所に置かれました。 その後美濃地方に路線を広げていた美濃電気軌道は1930(昭和5)年名鉄に合併しこの路線も名鉄美濃町線となりました。
戦後になり1954(昭和29)年10月1日、美濃町の市制施行により国鉄駅も美濃町駅から美濃市駅に変わり、美濃町線の新美濃町駅も美濃駅に名前を変更してます。
長年岐阜市と美濃市をつないでいた名鉄美濃町線ですが、利用客が少なく長良川鉄道と平行している末端の新関〜美濃6.3kmが1999(平成11年)4月1日廃止されました。 代わりとして長良川鉄道関駅と新関駅間に連絡線を敷き乗り換え利便性を上げ、関〜美濃市の長良川鉄道線上に松森、関市役所前駅を新設しています。
地図


新関駅 R=25の急カーブ
関側から見た新関駅構内。ここは昔の美濃への線路が使われています。 急なS字カーブで県道を渡り関駅へ入っていく線路。美濃への線路はここから県道の真ん中を走っていました。


880型電車 関駅
関駅へ向かう880型。この踏切は手前で電車が一旦停止すると県道の踏切信号が赤になり警報機が鳴ります。
何だか臨海鉄道のようですね。
関駅の様子。後方に見える線路は長良川鉄道のものです。 このすぐ後ろから長良川鉄道のホームに上がれるようになってます。


枕木 広い路側帯
関川の鉄橋手前で線路は道路中央から西側に移動してました。 この橋を西側から見るとアスファルトの下に枕木が残っています。 また橋の欄干はレール利用でした。 線路の跡は県道の広い路側帯になってます。 これだけ幅があれば歩行者・自転車にとっては有難いですね。


下有知駅跡
下有知(しもうち)駅跡。現役時代は低いホームと待合室、自転車置き場の上屋がありましたが自転車置き場だけ残っていました。 現在駅跡には下井桁バス停があります。 線路跡の横にあった津島神社の祠と石灯籠、祠の3つに分かれた大きな三角屋根が何ともユニーク(^ ^)


撮影日 2003.06.29

次へ 戻る


inserted by FC2 system