坂川鉄道の車両

坂川鉄道末期には蒸気機関車2両、客車2両、有蓋貨車2両、無蓋貨車4両、運材貨車36両が在籍していた。 コッペル製の蒸気機関車以外は全ての車両が岩崎レール商会(後の岩崎レール工業)で製造している。 当初無蓋貨車はなく運材貨車が40両だったが1938(昭和13)年に丸野付近で採掘されていた長石輸送や土砂運搬用として運材貨車4両を改造した。
1944(昭和19)年12月1日の坂川鉄道営業廃止後も森林鉄道として機関車や貨車は全車引き継がれたようだ。 なお地元貨物は帝室林野局で無料輸送することが廃止条件になっていた。
長野営林局統計書では1953(昭和28)年以降の営林署別保有機械の一覧に運材目的以外の貨車(客車も含む)として坂下営林署に5両の車両が在籍していることになっているが当時までどの車両が残っていたのかはわからない。
坂川鉄道社有車の他に帝室林野局の森林鉄道からの車両乗入があった。 鉄道省の認可書類では奥屋で接続する木曽支局妻籠出張所の田立森林鉄道からガソリン機関車1両と運材貨車12両の坂川鉄道新坂下までの直通運転認可されていたことがわかる。 田立森林鉄道の他の車両や丸野で接続する名古屋支局付知出張所の川上森林軌道(後の坂下森林鉄道2級線)からの車両乗入に関する認可書類は見付かっていないが少なくとも運材貨車は山元から新坂下まで直通運転していたものと思われる



1形1,2

ドイツ・オーレンシュタイン・ウント・コッペル(Orenstein & Koppel)社製のサイドボトムタンク蒸気機関車。 自重は5.5tしかなく軽便鉄道用としても極小サイズと言える。
当初は形式称号15、記号コとなっていたが1938(昭和13)年3月20日届で1形1、2号に改番している。 記号「コ」はメーカーのコッペル、形式称号は製造年の大正15年に因むものと思われる。
形式コ15形(?)→1形
記号番号コ1、コ2(?)→1、2
製造年1926(大正15)年
製造独Orenstein & Koppel社
自重5.5t
全長4564mm
全幅1520mm
全高2572mm
固定軸距1200mm
動輪径600mm
標準的なコッペル機の形状だが他の旅客軽便鉄道と比べても小型。前照灯は煙突前に取付座があり暗い時のみ取り付ける着脱式だったようだ。




ハ1形ハ1,2

岩崎レール商会製の木造2軸客車。 当初は形式称号15、記号カとなっていたが1938(昭和13)年3月20日届でハ1形ハ1、ハ2号に改番している。 形式称号15は蒸機と同じ、記号カは旅客(りょかく)の「か」に由来するのだろうか。
王滝森林鉄道などにいた同社製のC形客車とよく似ているが旅客営業鉄道の車両だけあって足回りの構造がしっかりしており軸バネを装備している。 また窓周りには転落防止柵が付くなど便乗者の安全を保障しない森林鉄道とは一線を画している。 屋根上にはトルペード型ベンチレータを2基、車内照明(バッテリー電源6V)1個があり、座席もスプリング入りのテレンプ張りとなっていたようだ。
形式カ15形(?)→ハ1形
記号番号カ1、カ2(?)→ハ1、ハ2
製造年1926(大正15)年
製造岩崎レール商会
自重1.55t
全長3251.2mm
全幅1955.8mm
全高2325.75mm
固定軸距1066.8mm
車輪径457.2mm
※小数点以下の端数が多いのは元書類のフィート、インチをmm換算したため
古い緩急車のように手ブレーキハンドルのカバーが車端部に飛び出している





ワ1形ワ1,2

岩崎レール商会製の木造2軸有蓋貨車。 当初は形式称号15、記号アとなっていたが1938(昭和13)年3月20日届でハ1形ハ1、ハ2号に改番している。 形式称号15は蒸機と同じ、記号アの由来は不明。
客車ハ1と同じ足回りに貨物室を載せたようで足回りや全長などのサイズは全く同じ。
形式ア15形(?)→ワ1形
記号番号ア1、ア2(?)→ハ1、ハ2
製造年1926(大正15)年
製造岩崎レール商会
自重1.33t
全長3251.2mm
全幅2006.6mm
全高2628.9mm
固定軸距1066.8mm
車輪径457.2mm
※小数点以下の端数が多いのは元書類のフィート、インチをmm換算したため
手ブレーキ装備なので実質はワフ。 車掌、ブレーキ手が乗る手ブレーキ回りは運材貨車に近い構造で屋根はあるものの吹き曝しになっている。





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