正面に見えるカーブミラーの下辺りから発電所上第一橋梁(木橋:径間4m)、同第二橋梁(木橋:径間6m)でこちら側へ渡っていました。 カーブミラーの左上に見える台形の石積みは旧・川上川発電所の水圧鉄管の台座。 恐らく発電所上第一橋梁はこの水圧鉄管を跨ぐためのものだったと思われます。 軌道跡の道路上から見た旧・川上川発電所の屋根。 現在は払い下げられて民家の敷地内となっているので近付くことは出来ません。

●旧・川上川発電所
橋梁名に「発電所上」とあるようにその下にはかつて川上川発電所という水力発電所が存在していました。 1913(大正2)年2月に木曽電気の発電所として川上、田瀬、加子母、付知へ送電開始。 180HPのフランシス水車でシーメンス製の150kVA発電機を毎分900回転させて発電しており出力は100kW。
事業者は何度か変わっており最後は中部電力で1957(昭和32)年に休止、1961(昭和36)年9月25日に廃止されました。 大規模発電所が建設されていく中で小規模発電所はコストの問題から休、廃止されて行く時代でした。 発電所の建屋は地元に払い下げられたようで2016(平成28)年12月現在も残っています。

海老の島地区内を通る廃線跡。一番川寄りの里道が廃線跡です。 道なりに行くと県道411号線と交差。県道の工事で路盤が寸断された模様。 左の平場がかつての線路で、アウトカーブの石積み擁壁に面影を残しています。(マウスオーバーで線路を表示)


川上川橋梁跡。木製上路トラス1連×30.7m+トレッスル8連×4m、全長62.7mの最大の橋梁でした。 現在はガーダー桁を掛けて上松運輸営林署王滝森林鉄道の10tディーゼル機関車No.139(元・北見営林局丸瀬布営林署武利森林鉄道No.52)+運材貨車+制動車が置かれています。
機関車側は木製トラスとティンバートレッスルの接合部を受けていたオリジナルの橋脚。 制動車が載る左端の橋脚は保存車を載せる際に新調したようでかなりごつい橋脚になってます。
のティンバートレッスル部分のオリジナルの橋脚は現保存車の真下に2基分残っています。 他の橋脚は道路工事で潰された様子。


橋台部分は若干の石積みが残っています。この先は上の林道工事で路盤が埋まっている様子。 夕森公園バス停の向かいで県道と合流。この付近には長石輸送のための構外側線(丸野駅扱い)があったようですが採掘場ともども残ってません。


●誠忠会採掘場構外側線
1933(昭和8)年5月27日に鉄道省から新坂下起点9.8q地点に構外側線敷設の認可を得ています。 通標鎖錠式の分岐器を本線上に設け、奥屋〜丸野の通標(タブレット又はスタフか)を転轍機にセットするとポイントが構外側線に切り替えできる構造だったのでしょう。 当時周辺の川上村有林内では誠忠会が陶磁器原料の長石を採掘しており認可申請文書では坂下で省線の貨車に積み替えて中央西線で土岐、多治見、名古屋方面へ輸送するとしています。 誠忠会は川上村の官林下げ戻し運動や坂川鉄道設立に尽力した原頼幸が設立したもので、森林組合のような組織だったようです。 主に御料林の伐木、運材、植林作業を請け負っており、当時は長石の採掘まで手を広げていたようです。



終点丸野貨物駅跡。 川上森林軌道…後の坂下森林鉄道2級線と接続していましたが坂川鉄道当時も駅員配置はなく授受線があっただけのようです。 現在は夕森公園の駐車場と案内所になっています。 またここに丸野治山事業所もありました。治山事業所は治山課の管轄なので運材を行う事業課とは別部署となります。


坂川鉄道4へ 坂下森林鉄道2級線1へ 坂下営林署の森林鉄道TOPへ


inserted by FC2 system