田立森林鉄道2級線(滝上線)
2段のインクラインとその間の中部軌道を介してつながっていた山上の上部軌道。 1933(昭和8)年度に長子峠〜潤滝インクラ下の下部軌道、潤滝、前沢インクライン、中部軌道と同時に開業しているが戦時中1943(昭和18)年度に撤去。 戦後は再び延伸され1955(昭和30)年度には元の終点に近い不動岩付近までレールを延ばしたものの道路林道化で1959(昭和34)年度中に撤去された様子。
標高1,200〜1,350mの高みを行く路線で谷が開ける入口に位置するため鉄道が通っていた場所とは思えないほど広範囲の眺望が拡がる。



前沢インクラインの上部付近。左の谷側にあったであろうインクラインの跡は見出せません。 当時の写真を見るとインクラはインクラ制動所を出てすぐ桟橋軌道になっていたようなので痕跡を探すのは難しそう。 2129,2131林班境。インクラ方面を振り返ると山上に無給電中継装置という電波の反射板が見えます。 ここは岩場のトンネルがあったのを開削したようで広い切通しになってます。


インクラから離れると切り立った崖っぷちの軌道となります。 麓の田立から坂下や中津川など県境地域が一望できます。向こうに見えるのは恵那山。 もっと標高が高い森林鉄道路線はあるものの一望のもとにこれだけ標高差のある地域が見渡せる路線はあまりないのでは?


屏風のような曲がりくねった岩肌にへばりついた軌道なのでひたすらカーブが続きます。 軌道時代は幅ももっと狭く(幅員2.7m)、心細いヘロヘロ軌道にガードレールもないので恐ろしげな場所だったことでしょう。 旧軌道上から見た田立、坂下方面。左が田立の集落で右の建て込んでいるのがこの鉄道の拠点でもある坂下。 さらに奥に拡がるのは落合川や中津川の街並み。


坂下駅付近をズーム。新坂下駅跡の国保坂下病院の大きな建物とその手前には木曽官材市売の貯木場も見えます。 岸壁に付いたひっかき傷程度のような軌道跡の林道。 ここを特殊軽量機関車に牽かれた運材列車が通っていたのでしょうが想像すると実に凄まじい風景です。


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