湯舟沢森林鉄道史

●湯舟沢森林軌道開業の背景
湯舟沢森林鉄道は坂下、田立森林鉄道系統とは路線が離れており出自が異なる。 湯舟沢御料林(現在の国有林)は現在岐阜県中津川市に属するが1958(昭和33)年10月15日までは長野県西筑摩郡神坂村であり、江戸期の尾張藩領時代も行政区分上木曽に含まれていた。 尾張藩は湯舟沢川、落合川を利用した川狩り(木材を筏に組まず1本ずつ川に流して運ぶ)が行われ、伊勢神宮遷宮材も搬出されていたが大正時代には落合川までが川狩りから馬車に切り替わっていたようだ。
木曽川では大同電力の電源開発のため1924(大正13)年の大井ダムに続き1926(大正15)年に落合ダムが完成し木曽川本流が締め切られており、湯舟沢森林軌道も落合ダム完成と同年に開業している。 木曽の森林鉄道は川狩りの代行輸送手段として敷かれたケースが多いが既に川狩りが馬車輸送に切り替わっていたとすると湯舟沢林鉄の敷設目的が川狩りの代行手段だったかどうかは疑問となる。 電力開発と当林鉄の関連性は今後の研究課題だろう。

湯舟沢森林軌道起点の落合川土場跡と落合ダム。斜面下の道路が軌道、住宅が貯木場となっており国鉄貨車への積込みを行っていた。

●湯舟沢森林軌道の開設
湯舟沢森林軌道は1926(大正15)年度の開設時は帝室林野局木曽支局湯舟沢出張所の所管だった。 開業区間や距離については資料により食い違いがあるがまとめると以下3つの説がある。
@「近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編」(矢部 三雄/編著)…落合川〜味曽野10,590m。
A帝室林野局…「作業軌道及森林鉄道に関する調査の件報告書」(帝室林野局木曽支局)では1935(昭和10)年時点で森林軌道7.39km、作業軌道7.86kmが記録されており「帝室林野局五十年史」(帝室林野局)にも森林軌道湯舟沢線 中央本線落合川駅〜神坂村湯舟沢7,385mと記載。
B地元…「落合郷土誌」(落合郷土誌編纂委員会/編)、「中津川市史 下巻 近代1」(中津川市)では1926(大正15年)12月に味曽野〜欅平土場が開業し1928(昭和3)年に落合川まで延長工事を行い作業軌道として運行、1938(昭和13)年6月より軽便軌道(土木軌道・・・常設の森林軌道を差すと思われる)として木材運搬を行ったとしている。

@は林野庁時代の記録が中心で落合川〜味曽野の距離(実際には6,900m)が矛盾しており林鉄を敷設した当事者たる帝室林野局Aや地元Bの記録が正確と思われる。 Bは森林軌道への編入が1938(昭和13)年6月からとなって一見Aと矛盾しているように見えるが当初開業時に森林軌道、作業軌道として開業した区間があり、1938(昭和13)年6月に作業軌道の一部が森林軌道に編入されたと考えればAの記述と矛盾しない。 但し当時既に冷川沿いの欅平まで作業軌道が敷かれていたという点には若干疑問を感じる。
これらを踏まえてここでは以下の年表のように考えることとする。

湯舟沢森林軌道年表(推定)
1926(大正15)年12月湯舟沢森林軌道 味曽野(湯舟沢出張所)〜温川485m、作業軌道 温川〜梯子谷〜温川筋御料林内を開設。(485m)
1928(昭和3)年湯舟沢森林軌道 落合川〜味曽野6,900m開設。(7,385m)
1928(昭和13)年6月作業軌道 温川〜梯子谷3,205mを森林軌道に格上。(10,590m)
1945(昭和20)年1月1日木曽地方帝室林野局湯舟沢出張所廃止→新設の坂下出張所へ引継ぎ。
1947(昭和22)年4月1日林政統一。木曽地方帝室林野局坂下出張所廃止→新設の農林省林野局長野営林局坂下営林署へ引継ぎ。
1948(昭和23)年度500m開設(11,090m)
1949(昭和24)年度1,000m開設(12,090m)
1950(昭和25)年度2,300m開設(14,390m)
1951(昭和26)年度2,020m開設(16,410m)。欅平まで全線開業。
1954(昭和29)年度落合川〜味曽野6,900m廃止(9,510m) 5月27日の豪雨水害で被害を受け復旧されず。
1962(昭和37)年度全線(味曽野〜梯子谷〜欅平)廃止

土地勘がないと地名が錯綜してややこしいので以下の周辺概略図や路線図を参考にしてもらいたい。

湯舟沢森林鉄道 周辺概略図

●冷川流域への延長
作業軌道やインクライン、鉄索により温川流域奥地の御料林からも木材が伐り出され湯舟沢林鉄で輸送を行った。 列車は空車を山元へ上げる時のみ機関車が牽引、下る時は各車にブレーキ手が各車に乗務し乗り下げを行って落合川土場まで下っていたと言う。
温川での事業は戦時中に終了し隣の冷川に移る計画が立てられていたが戦中、戦後の資材、人手不足や混乱で冷川への林鉄延長線建設が思うように進まず事業実行に支障を来していたようだ。
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年1月1日には合理化のため坂下出張所が新設され湯舟沢出張所は廃止。 湯舟沢御料林や森林鉄道は同じ木曽局の妻籠出張所田立御料林、名古屋局の付知出張所川上御料林と統合され坂下出張所に引き継がれた。 戦後1947(昭和22)年4月1日には林政統一により他の木曽御料林や森林鉄道と同じく農林省林野局長野営林局へ引き継がれ、坂下出張所は坂下営林署となった。
遅れていた冷川の事業計画もこの頃より再開し森林鉄道は温川から霧ヶ原の台地を越え欅平へ延長された。

●林鉄の廃止
1950(昭和25)年度から10カ年の暫定計画では後半期に冷川流域からさらに北の池ヶ谷川流域へ事業区域を移す計画としており、4.0kmの軌道延長が計画されていたがこちらは味曽野から川並を経由し道路林道でアクセスするように変更されたため未成線に終わったようだ。 但しこの区間が作業軌道として先に存在していた可能性もある。
1954(昭和29)年5月27日の豪雨災害で落合川〜味曽野6,900mの軌道が被害を受けそのまま復旧されずに廃止された。
この区間は元々中山道も通っており平行道路の整備が進んでいたことから営林署側が費用をかけて軌道を復旧させるメリットが薄いと考えたのだろうか。 現にその前年1953(昭和28)年からの計画では川並〜霧ヶ原〜欅平の冷川林道新設が計画されており、湯舟沢森林鉄道は撤去の方針が固まっていたようだ。
1960(昭和35)年度には坂下営林署の運材貨車数が0になり、1962(昭和37)年度には残っていた味曽野〜欅平9,510mが撤去され湯舟沢森林鉄道はその歴史にピリオドを打っている。


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