富山地方鉄道笹津線
1914(大正3)年12月6日に富山〜笹津17.6kmに富山軽便鉄道(後に富山鉄道)が開業しました。 笹津では神岡鉱山からの専用軽便軌道と接続し鉱石輸送にも使われていました。 しかし1929(昭和4)年10月1日に国鉄飛越線(現JR高山本線)富山〜笹津が、さらに1930(昭和5)年11月27日に猪谷までが開業すると鉱石輸送は猪谷での国鉄積替えにシフト。 大打撃を受けた富山鉄道は1933(昭和8)年4月20日路線の大部分である堀川新(現南富山)〜笹津を廃止し、残りの区間も富南鉄道に譲渡しました。 富南鉄道は後に富山電気鉄道の傘下に入り、さらに合併、富山地方鉄道に統合されて今日でも本線の一部(電鉄富山〜稲荷町)、不二越線として現役です。
一方で富山電気鉄道は富山鉄道廃線区間の用地を確保し復活の機会を窺います。 戦後富山地方鉄道は富山市内線から笹津まで直通運転を計画。 1950(昭和25)年9月1日に7.1km南富山〜大久保町が市内線と同じ直流600V電化で開業。 1952(昭和27)年8月15日には笹津まで全線が開業しました。 同時期に富山市内線と直通運転を開始した射水線と同じく路面電車との直通用に高床車ながら低床ステップを持つデ5000、5010形が活躍しました。 後に運用変更から富山市内線への直通運転は無くなり線内運用だけになります。 復活を果たした笹津線でしたがモータリゼーションの影響で1960年代には旅客が減少、1975(昭和50)年3月31日で再び廃止されてしまいます。
地図


南富山駅を出てすぐ、左に市内線の車庫を見つつ続く右端の道路が笹津線跡。 左端は上滝線の10030系。笹津線は上滝線に沿って市内線の車庫を迂回して右端の道路の延長線上に出て来ます。 因みに笹津線現役時代車庫は笹津線を挟み西(画面右)笹津寄りの現在はスポーツクラブになっている場所にあり、笹津線の電車もそこに在籍していました。 交通量の多い大町(西)交差点を南北に横切ります。 笹津線は画面左から合流、歩行者用信号機左の左折用ルートから画面前方へ続く道路が線路跡。 この付近に日本繊維前駅があったはずですが、今では工場もなく駅跡の面影を見出すことは出来ません。




袋駅跡。バックの神社の鎮守の森は鉄道現役時と変わらぬ風情。 熊野川の鉄橋跡に架かる興南大橋の欄干にはスポーク車輪のレリーフが施されています。


熊野川橋梁へのアプローチする築堤のカーブが鉄道らしい雰囲気。 ここで電車を撮れたらなあ・・・。

1950(昭和25)年の笹津線再開業時の終点だった大久保町駅の跡は下大久保停車場公園と言う公園になっています。 交換設備と側線があり、主要駅の一つでした。


大久保町駅前は駅前らしく、ちょっとレトロな装飾街灯が並んでいます。画面右が駅跡です。

左に目を移すといかにもローカル線の駅前らしい光景が。 釣り掛けモーターの音がかすかに聞こえてきそうな風情が漂います。


大沢野北口駅跡。大久保町駅より小さな無人駅の駅前らしい雰囲気があります。 大沢野北口〜田村町間の線路跡。右端に何やら怪しげな物体が・・・。



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