田口森林鉄道椹尾線
田口鉄道三河田口駅隣接の田口土場を起点として寒狭川支流の椹尾谷へ延びていた5,750m(1952(昭和27)年度に5,851mから5,750mに訂正されている)の路線。 1932(昭和7)年12月22日に田口鉄道が三河田口まで開業しており、その翌年度の1933(昭和8)年度に路線建設を行ったようです。 段戸山軌道椹尾(さわらご)線(椹尾谷線という記述もあり)として1934(昭和9)年度に開業しており、同時に椹尾谷での官業伐木事業(直営生産事業)も始まっています。 田口線開業を待たずに敷設工事に掛っていた田峰地区の路線と比べ工事や開業が遅れてますが昭和恐慌や木材不況の影響でしょうか。 帝室林野局の
6km弱の短い路線だが、実際の線路跡は8km以上続いており末端部は作業軌道扱いだったようです。 他に途中で山ノ神谷に分岐する作業軌道もあったようですが詳細は不明。
田口森林鉄道は椹尾線が本線で本谷線が支線という扱いですが直営生産事業は本谷、澄川方面が主力だったようで本谷線分岐より椹尾寄り区間の方が支線のような存在になっていました。 撤去年度は1961(昭和36)年度となっているが実際にいつごろまで運材を行っていたかは不明です。



写真や現地調査をもとに作成した三河田口駅と田口土場周辺の配線図。 川沿いに並ぶ建物群は主に木炭を納めていたと思われる倉庫ですが実際に何棟あったかは不明。
土場はかなり狭いですが貯材量がどの程度だったかは不明。 土場到着当日中に処分(売り払い)して田口鉄道側の貨車積み、発送まで済ましていたのか?


旧・三河田口駅前から田口の市街地へ続く道と田口土場(左の空き地)を見た様子。 設楽ダムの計画が進んだことで駅前旅館などの僅かに残っていた建物も撤去されてしまいました。 土場から駅舎方向を見た様子。右の草むら辺りが田口線から延びていた土場側線の跡と思われます。


中央付近に田口土場輸送事務所、左に2線分の林鉄車庫があり事務所前には線路が並んでいました。 事務所の裏手は寒狭川。 林鉄車庫付近から椹尾、本谷方を見た様子。 2016(平成28)年現在では刈り払いも行われなくなったのか旧線路敷上を歩いて寒狭川橋梁まで行くのは困難になっています。


小貝津橋から三河田口方面を見た様子。 藪が茂って完全にもさもさ状態、倉庫は寒狭川に張り出して建てられていたようです。 小貝津川のコンクリート橋と木橋のコンクリート橋脚。 県道33号線小貝津橋から寒狭川の方を見下ろすと直下にあります。 木橋を林鉄が通っていたの確実ですが手前のコンクリート橋は架け替えで林鉄を通していたのか、ただの倉庫連絡用の人道橋なのかは不明。



コンクリート橋上から見た木橋橋脚。木部は完全に流失したようで締結金具やボルトだけが残っています。


小貝津橋を渡ってもまだ土場の構内、山手にはガソリン機関車や集材機の燃料を保管していた油庫が残っています。 奥の岩が張り出して見える部分で軌道は左に曲がり寒狭川を渡っていました。 ごつい鉄扉が付き地山にめり込んだ姿はトーチカのような軍事施設跡といった感じ。 現在のように定置タンクに液体を注いでおくのではなくドラム缶や一斗缶入りで保管していたのでしょう。 この真上を本谷線終点まで続く県道33号線が通っています。


田口森林鉄道椹尾線2へ 新城営林署の森林鉄道TOPへ


inserted by FC2 system