田口と田峰の車両配分は不明だが、毎年度の名古屋営林局統計書に表れている1954(昭和29)年以降廃止までの在籍車両数は以下の通り。 意外と年別の車両数変動が激しく新城署管内の田口、田峰だけでなく名古屋営林局内の森林鉄道から車両の転入や移籍があったものと思われる。 |
1954 | 1955 | 1956 | 1957 | 1958 | 1959 | 1960 | 1961 | 1962 | 1963 | |
ガソリン機関車 | 5 | 4 | 3 | 3 | 5 | 5 | 7 | 5 | 2 | 1 |
運材貨車 | 91 | 91 | 69 | 92 | 129 | 129 | 60 | 29 | 38 | 38 |
モーターカー | 3 | 3 | 2 | 2 | 0 | 2 | 3 | 2 | 0 | 0 |
新城営林署所属の機関車は全てガソリン機関車で最後までディーゼルエンジン化されなかった。 燃料は基本的にガソリンだが開業から戦後まで代用燃料の木炭ガスを併用している。 石油、ガスが普及する昭和30年代までは木炭の生産も営林署の重要な事業の一つで、新城営林署は特に質の良い木炭を生産しており名古屋営林局内の品評会でもよく優勝していた。 機関車にもこの木炭が使用され、機関車次位に代燃炉を搭載した貨車を連結して、発生させた木炭ガス(水素と一酸化炭素の混合ガス)をパイプとホースで機関車へ供給していた。 木炭は出張所、営林署が自前生産していたので燃料費が安く森林鉄道では戦時中に燃料不足となる前から盛んに研究され用いられていた。 通常のガソリンエンジンに大きな改造を施すことなく使用でき、パワーのいる区間ではガソリンを、その他の区間では木炭ガスを使用するように運転席から操作出来た。 ●代燃車の終焉 代燃車の欠点は代燃炉で高温に熱されたガスを冷やしてエンジンで燃焼させるという構造のためガスが十分に冷えないままにエンジンへと送られてしまい燃焼時にピストンを押す力がガソリンと比べて弱いということだった。 加えて木炭を燃やして運転するのに十分な量のガスを発生させるまでの手間や時間も要するため戦後石油燃料の価格が下がって来ると代燃装置が外され普通のガソリン機関車になっている。 またガソリン車よりも燃料費が安いディーゼル車が一般化してきたこともあり代燃車は昭和20年代中にほとんど姿を消している。 新城署内でいつまで代燃車が使われていたかはわからないが昭和20年代中盤までと思われる。 ●何故か路線縮小時期に増える機関車 新城営林署には1960(昭和35)年度に最多の7台が在籍しているが既に路線の撤去が進んでいる時期なので他の廃止になった森林鉄道から状態の良いものや部品取り用として確保した車体も数に入れていたのかも知れない。 これまでに確認できたものは全て加藤製作所製のガソリン機関車で以下のイラストような車両。 森林鉄道は急勾配区間が多くオーバーヒート気味になるので厳冬期以外は側面のエンジンカバーは外して使っていることが多い。 またドアも開けっ放しで走るのが普通。 運転席が暑いから狭苦しいから・・・(実際かなり狭いです- -;)というだけでなく外部への注意を払い易くするため、脱線、衝突などの緊急時に車外へ脱出し易くするためと思われる。 ※機関車の塗装色は分かっていないが濃い青でイラストを作成した。 名古屋営林局管内で使用されていた機関車や林業機械はこの緑か青の一色塗りが多かったようだ。 |
青バージョン 同じ名古屋局内小坂、付知林鉄で見られた塗色。他署でも採用? | ||
緑バージョン 全国的に林鉄機関車と言えばこの色が多かった | ||
●高屋根タイプ(田峰で確認、田口は不明) 前面窓は中央が木製サッシの引違式窓、左右の窓は内側を軸にして回転し外に開くタイプ。 鋳物台枠は低床式の「林野型」。 ボンネット上の前照灯が向かって右に寄っているが中央に配置しなかったのはカーブの都合なのか機器配置の都合なのかは不明。 ラジエターグリルは鋳造の縦桟となっており加藤製作所製の機関車では戦前の初期製造分のもの以外あまり見られないタイプ。 そのためかどことなく酒井工作所風にも見える。 後部両脇に雨どいが付けられているのがこの手の機関車には珍しい。 エンジンはフード内前寄りにあり中央部には変速機(トランスミッション)、砂箱や燃料タンクを搭載、変速機は機械式(自動車でいうとマニュアルトランスミッション)。 車輪への動力伝達はチェーンとスプロケットを介している。 ブレーキは手用制動で最後までエアブレーキは装備されなかったようだ。(内燃車なので減速、抑速にエンジンブレーキは使えます) |
●低屋根タイプ(田峰、田口ともに同型がいた様子) 「高屋根」と基本的には変わらないがキャブの屋根が低く、中央窓が一枚窓で上辺を軸に回転して開くタイプとなっている。 また側面に加藤製作所の楕円形銘板が付いていたりラジエター形状が若干違っていたりと細部は異なっている。 落石などによる窓ガラス破損対策で窓ガラスを金網入りとしたものもあったようだ。 |
購入時期などが分かっているのは以下の2台だけだが他にも同じ4.5tクラスの機関車が揃えられていたものと思われる。
上のイラストのような車だろうがそれぞれどちらのタイプだったのかは不明。 ●1938(昭和13)年度購入4.5tガソリン機関車 購入額7,240円 メーカー不詳だが加藤製作所製と思われる。 1938(昭和13)年6月30日田口土場に到着。 田口本谷線建設工事資材輸送に使用された模様。 ●1938(昭和15)年度購入4.5tガソリン機関車 購入額7,240円 メーカー不詳だが加藤製作所製と思われる。 田口本谷線開業による増備機。 |
年度 | 年度初めの車両数 | 備考 ()内は名古屋局車両増減から推測 |
1954(昭和29) | 5 | 1両減(神岡署へ転出か廃車?) |
1955(昭和30) | 4 | 1両減(廃車?) |
1956(昭和31) | 3 | |
1957(昭和32) | 3 | 2両増(付知、小坂、高山、神岡署のいずれかから転入?) |
1958(昭和33) | 5 | |
1959(昭和34) | 5 | 2両増(付知、荘川、神岡署のいずれかから転入?) |
1960(昭和35) | 7 | 2両減(付知、神岡署のいずれかへ転出か廃車?) |
1961(昭和36) | 5 | 3両減(廃車?) |
1962(昭和37) | 2 | 1両減(廃車?) |
1963(昭和38) | 1 | 1両減(廃車?) |
新城営林署の森林鉄道の現存車両は現存しないが類似タイプの機関車ということで2016(平成28)年現在林鉄倶楽部さんで修復中の王滝森林鉄道7tディーゼル機関車No.84(元・長野営林局上松運輸営林署所属)運転台機器の説明をおまけ〜。 No.84の燃料はガソリン、木炭ガスでなく軽油で、メーカーも違う上に7tという大型機だが運転機器の基本的な配置は同じと思われる。 | |
木曽の王滝森林鉄道で主に構内入換に使われていた酒井工作所製7tディーゼル機関車。 1950(昭和25)年に長野営林局野尻営林署阿寺森林鉄道に導入された当初はガソリン機関車だったらしく後にエンジンを何度か換装してディーゼル機となった。 現在は日野DS70Aを搭載している。 その他にもエアブレーキ改造や部品取替えの跡が各所にありどの程度原形をとどめているのかはよく分かっていない。 1960(昭和35)年頃に上松運輸営林署へ移管されて王滝森林鉄道全廃で廃車となる1975(昭和50)年12月まで活躍している。 現在長野県王滝村で動態復活に向け修復中。 | |
No.84の運転台。
7t機なので新城署の機関車と同じ4〜5t機クラスから見るとこれでもかなり広い。
修理中のため計器類は外して穴だけが並んでいるが戦前の機関車となるともっと計器類が少なかったと思われる。 @の逆転機で前・後進・ニュートラルを選択。 左右のどっちが前・後進かは知らない(^ ^;)が写真は直立状態なのでニュートラル。 変速時はDのクラッチを踏みながらBのシフトレバーを切替え、Aのスロットルレバーがアクセルに当たる。 ブレーキはCを手前に引くことで掛るが、当機は後にエアブレーキ追加改造も受けているので別にエアブレーキ用のブレーキ弁も存在(Cブレーキレバーの陰になっている)する。 中央に見える円筒は燃料タンク。 |
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