田口森林鉄道本谷線
本谷線は1938(昭和13)、1940(昭和14)年度に軌道敷設工事を行い1940(昭和15)年度より運材を行っています。 本谷方面だけでなく途中の宇連では澄川支線を分岐し、澄川上流の段戸山からも索道や木馬道を介して木材や木炭、戦時中にはマンガン鉱も運んでいました。
帝室林野局の森林鉄道なので御料林材の輸送が主目的ですが沿線には松戸、大名倉、宇連などの比較的大きな集落があり三河田口駅とこれらの集落を結ぶ役目も大きく民間貨物や住民の便乗もあったようで、トロの上に屋根を掛けた簡易客車も見られました。
1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風で橋梁や路盤に大きな被害を受けます。 当時平行する道路の整備が進んでおり同年には田口から宇連まで県道33号瀬戸設楽線が完成して自動車の乗り入れも可能となっており、存在意義が薄れた本谷線は1960(昭和35)年度に撤去されています。


椹尾谷線の田口起点1,774m地点で本谷線が分岐。 椹尾谷線跡の道(手前の舗装道路)は左にカーブして椹尾谷へ入っていきますが本谷線は右へ曲がり椹尾谷を渡ります。 第一号橋梁(全長48.0m)の橋脚を利用した東海自然歩道の橋。 方杖橋のコンクリート部分のみを使用したため橋桁までだいぶ降りなければなりません。 軌道時代は径間6.0m×1連+9.0m×4連+6.0m×1連の堂々たる木橋。 木橋の木部はツガ材で組まれていました。


第壹號橋梁図(国立公文書館つくば分館所蔵) 第1号橋梁の側面図。手書きのもの(縮尺1/200)と青写真(同1/50)がありましたが1/50は大き過ぎてファインダーに納まり切りませんでした。 橋梁図面は全て左が起点、右が本谷方向です。


本谷川(寒狭川本流)右岸・・・北東向の斜面を横切っていく線路跡の小道。 この辺りは短い桟橋や開渠がいくつかあったものの規模も小さいためあまりよく分かりません。 路盤に石積みがある区間は軌道跡の雰囲気が濃いです。


第2号桟橋(全長6.0m)。ワンスパンの木橋でした。全ての橋梁、桟橋とも当時のまま架かった橋桁はありません。 寒狭川に迫る岸壁を削った区間。 本谷線は北向き斜面の下を行く区間が多く湿っぽい日陰となるため間伐材を使った枕木が腐るのも早かったそうです。 対策として山元で生産する木炭の副産物である木酢液に屑鉄を溶かした酢酸鉄液を用いて枕木の防腐処理を行っていました。


植林地帯になぜか庭木らしいシュロが一本だけあったり、田んぼの跡など人の生活の跡がちらほら見えてくると第3号桟橋(全長6.0m)を渡ります。 切通しを抜けると大名倉集落です。 同じ切通しでも渓谷の薄暗い岸壁ではなく光の差す明るい石積みで人里に近いことを感じさせます。 歩いていると穏やかな風景で分かりませんがこの辺は52‰の急勾配区間です。


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