軌道跡は路盤が崩壊していたり路盤上に崩土がたまっている状態。 国道420号よりもどんどん高度を稼いで絶壁上に線路跡が続いています。 ヤナ場バス停から田峯城に直登する遊歩道が交差する個所(竹桑田起点で1.3qほどの場所)で一部軌道敷が利用されており旧軌道敷上にベンチが設置されてます。 上へ斜めに延びているのは田峯城への道でこれが国道420号現道開設前からあった古道の足助道でもあるようです。 沢に突っ込んで終端になっているかのような軌道跡。こちらは集材側線か何かのようで本線は左へ分岐して沢を渡っていました。 この場所は国有林ではないので林鉄が本来運ぶ官材(御料林、国有林の木材)ではなく民材を積み込む場所だったのかも? 竹桑田からの空車引き上げ時に最後尾に併結した民材輸送トロをここで切り離して側線に入れていたのでしょうか。


民材用集材側線(?)の末端。 この側線まで斜面上から木材を集めようとするとこの沢の水を利用して「修羅(シュラ)落とし」でも行っていたのでしょうか。 「修羅落とし」とは木材で滑り台を組んで木材を滑り落とす古来からの木材輸送方法でかつては全国各地の山林で行われていました。
林野庁映像アーカイブで公開されている帝室林野局製作の映像資料「木曽御料林」(昭和12年)第六篇 伐木運材(外部リンク)の12:03〜13:15辺りに木曽で行われていた修羅の落としが映っています。
一方で鰻沢線は沢を木橋で渡って奥へと続いていました。対岸(鰻沢方)には橋台と石積み路盤が続いているのが見えます。 対岸は竹藪が多くなっています。今でこそ鬱蒼としてますがどうやらかつては人家や棚田があったのが人手が入らなくなってこのようになってしまったようです。


集材側線のある竹桑田方には側線の護岸石積みはあるものの橋台が見当たりません。 木が生えて分かりにくいのですがよく見ると木橋が架かっていたと思われる部分(画像中央の3本の竹の左辺り)だけ切欠きがあり、橋桁を載せることができるようになっています。 歩道脇にあった宮内省帝室林野局の「宮」マーク付き用地境界標。軌道敷だけでなく周辺の道路敷部分も御料地としていたようです。


段戸山軌道平面位置図(其一)(国立公文書館つくば分館所蔵)
上が竹桑田方面。側線らしきものが描かれており、そのそばには現在の遊歩道に当たると思しき道筋が線路と交差する様子も描かれています。 その下の方には棚田や人家らしきものも描かれており、当時の鰻沢線は寒狭川と棚田を見下ろしながら走っていたのでしょう。


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