豊橋鉄道田口線
「仏法僧」と鳴くいうコノハズクが住むことで有名な鳳来寺山の傍を走っていた22.6kmの鉄道です。 元は田口鉄道という会社で豊川鉄道(現在のJR飯田線豊橋〜大海)の系列会社でした。 1929(昭和4)年5月22日に同じ豊川鉄道系列の鳳来寺鉄道(現在のJR飯田線大海〜三河川合)鳳来寺口(現在の本長篠)から三河海老の区間が開業、 順次路線を延ばし1932(昭和7)年12月22日には三河田口までが全通。 沿線は山深い地域で田峰、田口では森林鉄道と接続(設楽森林鉄道参照)、木材輸送が盛んでした。
戦時中豊川、鳳来寺鉄道が国有化されたため田口鉄道も運行管理を国鉄に移管していましたが戦後自主運行に戻りました。 しかし沿線の過疎化、モータリゼーションの影響で豊橋鉄道に編入され田口線となりました。
豊川、鳳来寺鉄道が国有化された後も残っていた豊橋直通電車は1963(昭和38)年に廃止、 さらに1965(昭和40)年9月の台風で清崎〜三河田口が休止、1968(昭和43)年9月1日には残る区間も廃止されました。
地図



豊橋側から見た本長篠駅。画面左端、駅舎寄りのホームがかつて田口線の電車が発着していたホームです。


本長篠を出るとすぐに急勾配が始まり、国道257号線のガード先で分岐。今でもその路盤は残っています。

道路となった線路跡は国道151号線を渡り内金トンネルに突っ込みます。 このトンネルは2002年頃改修工事をしてました。


間もなく道路は途切れ、並行する県道32号線を行くと田口側の橋台と橋脚が聳えています。 石積みの堂々たるものです。橋脚上に2本突き出ている円筒形のコンクリートは何でしょう? 旧三河大草駅付近は山と谷を貫く大築堤とトンネルがしっかり残っています。 このような荒々しい切通しもありましたが落石で危なそうです。奥への立入は避けた方がいいでしょう。


鳳来寺駅跡、この食堂はかつての駅舎を利用したものだったそうですが、県道の拡幅工事で改築されたようです。 駅名表示板風の看板に田口線とこの食堂の由来が書かれていました。


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