名鉄鷹来線(未成線)
かつて小牧、春日井地区で鉄道を建設しようとしていた城北電気鉄道、尾北鉄道という会社がありました。 どちらも名鉄の前身名岐鉄道に引き継がれて小牧、春日井方面への鉄道計画も引き継がれました。 城北線(後に大曽根線→現在の小牧線)が非電化で建設され、春日井方面の勝川線も開業し、キボ50形ガソリンカーが走りだしました。 勝川線は下街道(木曽街道、国道19号線旧道)沿いに坂下(春日井市坂下)方面へ延伸するつもりでしたが、実際に延伸はされず、1931(昭和6)年2月11日開業後の営業成績も悪く6年足らずで廃止されました。
その後、日中→太平洋戦争のため兵器増産が必要となった陸軍は1940(昭和15)年頃に鳥居松、鷹来村に相次いで陸軍造兵廠を建設して通勤需要が急増しました。 名鉄は再び春日井方面への延伸を計画します。
1941(昭和16)年10月3日 新小牧〜味鋺 12.7km電気鉄道免許申請
 味鋺から勝川線跡を利用。鳥居松、鷹来を経由して新小牧(現在の小牧)へ至る路線。(鳥居松線)
 既存の鷹来工廠専用線と区間が重複するとして認可されず。
1943(昭和18)年10月6日 新小牧〜鷹来 4.4km電気鉄道免許申請
1945(昭和20)年4月24日 建設認可
1945(昭和20)年5月1日 着工。同日初代小牧駅(初代小牧線→岩倉支線)が新小牧駅に統合、二代目小牧駅に駅名変更
1945(昭和20)年8月15日以降 敗戦。鷹来工廠閉鎖。鷹来線工事中止。路盤は完成、線路を敷設する直前だったという。 戦後の航空写真では橋梁の橋台、橋脚はできていたようだが橋桁は架かっていなかった模様。
1961(昭和36)年7月25日 小牧〜鷹来免許失効
小牧、春日井地区の路線網。かなりややこしいので今回取り扱う内容と関係の薄い路線A(東海交通事業城北線)、B(桃花台新交通(廃止済))は略記でご勘弁をm(_ _)m
 @航空自衛隊小牧基地専用線
 A名鉄勝川支線
 B鳥居松工廠専用線→王子製紙春日井工場専用線(現役)
 C砂利取り線(鳥居松工廠建設のため敷設か?)


地下化された現小牧駅前の小牧駅(二代目)跡。 かつては岩倉支線も乗り入れる鉄道の要衝で小牧基地への貨車の仕分け、突放作業なども行われ活気のある駅だったそうです。 小牧線から分岐して急カーブして桃花台新交通ピーチライナー(これも廃線跡)をくぐります。 高架下付近からは道路になっています。(右が小牧駅、奥が鷹来方面)


大山川の支流に突き当たるところで道路は南へ曲がりますが、鷹来線はそのまま川を渡る予定でした。 河川改修されていることもあり橋梁の痕跡は全く残っていません。 川を越えたところは昔からの集落だった場所を鷹来線が横切ってます。 住宅裏の畑の列が線路の跡のようです。



集落を抜けると田園地帯。ここも耕地整理で跡形もありません。赤線の場所がかつて路盤があった部分。 線路が敷設された頃は沿線のほとんどが農地で広々とした場所を突っ切っていました。 今の小牧市は物流拠点で工場や倉庫が多い町です。

大山川の前後区間は日本ガイシ小牧事業所になっています。 事業所の敷地端(道路右の緑地帯)が線路跡。 大山川を渡る個所には日本ガイシの新しい専用橋が架かっており、鉄道橋の痕跡はなし。 この画像の場所の背後を流れる新木津(しんこっつ)用水にも痕跡はありません。


新木津用水を渡った先、工場・倉庫街の南端に残る盛土区間。 北半分(右の工場側)は新たに埋め立てられているようですが南半分はオリジナルの盛土と見られます。 その盛土区間内にコンクリート橋脚が残っていました。 跨いでいたと思われる河川や両岸の橋台は無くなっています。画面奥方向が小牧方面です。



橋脚を横から。上部には枯れ草などがたまり自然迷彩状態になっています。 鷹来線全線で唯一の構造物の遺構と思われます。 廃線跡としてだけでなく戦争遺跡としても非常に貴重なものだと思います。


国道155号線の交差点を横切った辺りから廃線跡の敷地が住宅街に延びています。 ご丁寧に右側には名鉄沿線ではお馴染みの鉄道柵までありました。 名鉄は免許失効後も機会があれば春日井方面へ線路を延ばす気でいたのでしょうか? 部分的に道路になっていたり畑になっていたりもしますが住宅街に続く路盤は数100mに及びます。 私有地なので名鉄の用地境界標の有無などは確認できません。外から見た感じでは残ってない(又は最初から建ててない?)ようですが・・・。


国道155号線と交差する辺りから尾張広域緑道が並走しており廃線跡と間違えそうですが、こちらは上水道の上に敷かれた道です。
国道155号線など小牧から春日井にかけての道路は物流拠点だけにどこも大型車が多い割に道幅も狭い場所が多いです。 そのくせ信号が多く、右折レーンがない交差点も多くて渋滞多発地域となっており、車を運転しているとあまり通りたい場所ではありません。
鷹来線を春日井駅まで乗り入れて名鉄尾西線、一宮線(東一宮〜岩倉 廃止)、岩倉支線(岩倉〜小牧 廃止)と一繋がりの高規格鉄道にできていたら名古屋の外郭環状線として便利だったように思います。 現実には戦後の愛知県の基幹交通は自動車交通に傾いてしまったため難しいところだったのでしょうが。


路盤が尽き春日井市の町屋送水場が建っている場所が鷹来駅(?)。 この場所から目線を右(東方向)に移すと・・・ 目の前、T字路突き当りの向こうに広がる鷹来工廠跡。現在では名城大学農学部や工場が建っています。


参考:東海地方の鉄道敷設史V(井戸田 弘)
 春日井に鉄道がやってきた〜中央線の歴史〜(春日井市教育委員会文化財課)

撮影日 2012.07.01
2013.04.20

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