付知線赤石橋の渡合側で分岐し井出の小路谷をさかのぼる5,241mの2級線。
1951(昭和26)年開業となっていますが、実際はそれ以前から作業軌道として存在していたものを改修して常設の2級線に格上げしたもののようです。
現に1941(昭和16)年の伊勢神宮遷宮の御用材輸送に時には既に使われていました。
特に勾配がきつい路線で末期にはエアブレーキ付きの協三5t機も導入されています。 全線撤去は1959(昭和34)年ですが、最後の年に当時大修理中だった姫路城の芯柱が当線を利用して運ばれました。 5月19日に井出の小路谷左岸で伐り出された芯柱は索道で井出の小路線のある右岸側へ。 芯柱は長さ26.2m、直径1.3m、重量10tとあまりに巨大だったため輸送中に運材車から落としてひびを入れてしまい、姫路城の芯柱にはそのときの修復跡が残っているとか。 そんな長さの芯柱がどうやって急なヘアピンカーブを通過したのか気になるところです。 その後7月20日に下付知着、チキに載せ替え北恵那鉄道→国鉄と継走し姫路駅に着いたのは8月10日のことでした。 →地図 |
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赤石停車場から赤石橋を渡った先にあった井出の小路線分岐点。 渡合側から見た様子。 今でも石積みの擁壁や築堤が残っています。一見スイッチバックに見えますが・・・ | 付知線から川側に分岐して付知線と平面交差、ヘアピンカーブで180度方向転換して登って行くという何とも強引な線形。 |
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ヘアピン部分の曲線を描く擁壁と奥に続く付知線跡の林道。 ここからヘアピンを重ねて高度を稼いでました。現林道もヘアピンで登って交差しているほか、明治期の王滝新道の築堤も入り混じり林鉄井出の小路線の線形がわかりません。 | 林道のゲート。一般車両は入れません。 |
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ヘアピンを上り切って井出の小路谷へ入って行く辺りから付知川の谷(西股谷)を見下ろすと渡合方面へ続く付知線跡が見渡せます。 少し見える赤い橋が林道。林鉄はその山側に並行して通っていたようですが地滑りで架け替えられたようです。 | 途中林鉄の痕跡はほとんどありませんが電信柱として使われていた9kgレールが残っていました。 沢を渡っていた2か所の橋梁にも林鉄時代の橋脚や橋台といった痕跡が見当たりませんでした。 もしや現橋の橋脚に塗り込められているのでしょうか。 |
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井出の小路谷本流を渡る井出の小路橋。
現橋には1959(昭和34)年10月竣工とあり、その下には林鉄時代の幅広な橋脚が残っていました。
トラス橋だったのでしょうか? 現橋の竣工は伊勢湾台風(同年9月)の直後となってるのが気になります。 林鉄の廃止と因果関係があるのでしょうか? |
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井出の小路橋を渡ると前方に立ちはだかるヘアピンカーブの石積み築堤。 城壁のような堅固さで森の中に未だに聳えています。 | その築堤を上の遊歩道から見るとこんな感じ。 ここからまたヘアピンカーブの繰り返しなのですが現林道に埋もれてどれ程が一致しているのか分かりません。 |
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旧林鉄と林道のヘアピンカーブの途中に「合体木」があります。
別々のヒノキとサワラが成長する過程で合体してそのまま大木に成長してしまったそうです。
この辺は旧神宮美林・・・つまり伊勢神宮の式年遷宮に使われる木材を供給する森です。 井出の小路線はヘアピンカーブを登りきった先で終点だったはずですが、その先にも作業軌道が続いていたのでしょうか。 |
参考: | 全国森林鉄道(西 裕之著 JTBキャンブックス) |
名古屋営林局統計書(名古屋営林局) | |
一世紀の年輪(名古屋営林局) | |
付知町史 通史編(付知町編) | |
加子母村誌(加子母村誌編纂委員会編) | |
付知百年付知百年 町制施行100周年記念写真集 (付知百年編集委員編(付知町文化財保護審議委員町教育委員会内)) |
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