付知森林鉄道 |
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北恵那鉄道中津町〜下付知が1924(大正13)年8月5日に開業し、裏木曽御料林より伐り出された木材の鉄道輸送が輸送が始まりました。
しかし当時はまだ下付知より上流は相変わらず付知川による流送が続けられ、下付知駅傍の付知川河原に陸揚げして河原の引込線で貨車積みしていました。 この上流部の流送を鉄道輸送に切り替えるため宮内省帝室林野局名古屋支局が1936(昭和11)年より森林鉄道を敷設。 「サブロク(3フィート6インチ=1067mm軌間のこと)の森林鉄道」と呼ばれた北恵那鉄道の培養線的な性格が強い路線でした。 路線は1級線の付知線18,439m(下付知〜渡合)をはじめ、2級線では東股線13,956m(宮島より東股谷方面)、井出の小路線5,241m(赤石より井出の小路谷方面、西沢線4,557m(渡合橋より西股谷方面)、ほかに高樽線などの作業軌道も多数あったようです。 戦後の林政統一後は名古屋営林局付知営林署管轄となり裏木曽国有林からは伊勢神宮の御神木や姫路城の芯柱など名建築を支えるヒノキの良材搬出に大活躍しました。 林道化により廃止が始まるのは1959(昭和34)年からで1962(昭和37)年には全廃されました。 →地図 |
付知森林鉄道の本線。
下付知〜渡合(どあい)18,439mの路線でした。1936(昭和11)年より建設され、翌1937(昭和12)年に渡合まで開通しています。
1959(昭和34)年より林道化のため路線短縮が始まり、1962(昭和37)年には全線が廃止されました。 名古屋営林局統計要覧による路線距離の変遷
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北恵那鉄道(以下エナデン)下付知駅跡裏手にある下付知貯木場。 時期的に材はなし。因みに複数立ってる柱は全て鉄道レール利用です。 貯木場入口の門扉のレールも林鉄のレールですが、ゲージはさすがに762mmということはなし。 | 貯木場の事務所。森林鉄道があった頃からの味わい深い建物。 そこら中で利用されているレールは北恵那鉄道の太いものから林鉄のレールまで様々。 一つ試しに測ってみると12kgレール。森林鉄道1級線用のレールでした。 |
エナデン下付知駅は付知の市街地南端にあり、中心街からは離れていました。
貯木場は直接エナデンの貨物ホームにつながっており、ここからエナデン、国鉄経由で出荷できました。
しかしエナデンの貨物輸送量自体は案外に少なく、電車が序でに貨車を牽引していくという程度で、林鉄との連絡貨物が盛んとは言えなかったようです。 付知の市街地は避けて山際に線路が敷かれてました。 旧付知営林署があった営林署停車場付近で市街地や阿寺断層、国道256号と交差。 営林署は付知川東岸の国道沿いに移転し、改組後は中部森林管理局東濃森林管理署となりました。 道路化されている部分は国道交差付近までで、後は付知川沿いの水路などに利用されています。 |
白谷を渡っていた付近では県道486号線の橋上から線路跡が木々に見え隠れしてます。
白谷には高い3連のガーダー橋が架かっていたようですが現県道橋の真下にあったせいか痕跡が見られません。 因みにこの岐阜県道486号王滝加子母線は長野県道486号線と対になっており、長野側は名前の通り旧王滝森林鉄道沿いの道路です。 林道(一般車通行止め)の真弓峠を挟んでお互いにすぐ傍なんですね。 |
下大起(しもおおごせ)付近の水路化した線路跡。バックの白い柵が県道486号線。 現在の県道とはあまりルートが一致していないようです。 | 平地の少ない立体的な集落の中を延びる線路跡。 県道から見下ろすとS字カーブの向こうから運材列車が現れそうで何ともいい雰囲気です。 |
カーブして延びる線路跡(現水路)。
山中の線路跡だけでなく、どこかの旅客軽便鉄道のような雰囲気が漂う区間もまた魅力的ですね。 奥に見える道路を横断し左に曲がって宮島停車場へと続いていました。 |
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