因みに柳ケ瀬トンネルの両坑口に残る銘はレプリカのようで、オリジナルは長浜鉄道スクエア旧長浜駅舎前に保存されています。


スイッチバックの刀根駅は北陸自動車道に敷地が一部潰されていることもありさほど痕跡もなく通過。雪解けを待って再調査してきます。


小刀根トンネルの米原側坑口、トンネル上部にはレール製の雪崩防止柵も残り、今にもキハ52でも出て来そうな雰囲気。 小刀根トンネル敦賀側坑口と笙の川に架かるガーダー橋。この辺は鉄道施設をそのまま利用した農道になっています。




雪で近付けませんがアーチの要石にはトンネル完成を示す時明治十四年の文字も残ります。 1996(平成8)年6月に敦賀市指定文化財に指定されました。 ここから振り返って敦賀側を見ると同時に建設された刀根トンネルがありますがこちらは2車線道路用に掘りなおされてしまっています。 さらに先の国道8号線部分にあった曽々木トンネルに至っては開削されて跡形もありません。


疋田駅手前で国道8号から分岐する廃線跡。画面奥の国道8号から右の電柱の列が廃線跡。 左に分かれる細い道路は旧国道8号と思われます。 疋田交差点の脇に残る五位川の橋梁跡。橋台と橋脚の基部が残ります。 すぐ左側(下流側)には旧国道8号の古びたコンクリート橋も残っています。


疋田交差点を横切り北西にカーブしながらローソンを横切り疋田駅に到着。石積みのホームが現存しています。 国道8号線側にもう一面あったであろうホームや側線用地は宅地になり消滅。 末期には線路一本の終着駅となり木ノ本から来たキハ52と敦賀駅へのバスを乗り継ぐ駅となっていました。 因みに撮影地として知られる新疋田駅は集落から離れて国道161号を高島方面へ10分程歩いた場所。


疋田駅から敦賀へ向かう線路の石積み築堤は道路に。 こんな暗渠も残っていたりします。


この辺まで来ると現在の北陸本線はすぐ近くで列車の通過音や保線係員用の警報音が良く聞こえます。 しかしあの警報音。夜中に聞くと結構不気味でしょうね。 とはいえ子供の頃北陸本線沿線で育った者としてはあの音を聞くと北陸らしい懐かしさを感じてしまう訳でもありますが(^ ^;)
さて鳩原信号場跡ですがこちらは冬場はぬかるんでとても入れないため9月に訪れた時の画像を載せます。


旧鳩原信号場付近の下り線を行く683系特急サンダーバード。左の砂利道が旧線跡です。本当はトワイライトエクスプレスを撮りたかったのですが(笑) 敦賀側はこんな感じ。旧線上から見るとこちらが683系の真正面であり、元来こちらが本線であったことが窺えます。 オーバークロスするのは鳩原ループに向かう上り線。




柳ケ瀬線の車輌
北陸本線時代の車輌については先述の通り、ここでは柳ケ瀬線となった後の車輌を取り上げます。 キハ20系列で勾配向け2エンジン車のキハ52が単行で使われており、トップナンバーのキハ52 1も敦賀に新製配置されていました。 彦根、米原から敦賀まで新線区間のデッドセクション連絡運用にも使われていました。
同系車ということで最近まで活躍していた大糸線の復刻塗装キハ52 100番台車の画像を。 正確には柳ケ瀬線のキハ52は0番台車(0番台=縦型エンジンDMH17C搭載、100番台=横型エンジンDMH17H搭載)で細部の仕様も国鉄時代とは色々違いますが、雪景色なので探訪時とちょうど似たような雰囲気ってことで。


撮影日 2011.09.18
2012.01.01

北陸本線旧線(木ノ本〜敦賀)→柳ケ瀬線1へ 廃線奇行へ


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