富山地鉄10020系、14720系



富山地方鉄道では昭和30年代に優等列車用として相次いで先進的な電車が導入されました。 1955(昭和30)年に初のカルダン車14770系(後の14790系)、1957(昭和32)年に14780系が登場。 1961(昭和36)年には初のMM´ユニット車10020系、1962(昭和37)年には同スタイルながら1M方式の14720系が登場しました。 いずれも日本車輌製で、同時期に登場した名鉄5000,5200,5500系、長野電鉄2000系、北陸鉄道6000,6010系とも通じるスマートなスタイルです。
10020系は当初モハ10020+サハ220+モハ10020、14720系もモハ14720+サハ220+モハ14720の3両固定編成を組んでいたのが1969(昭和44)年にサハ220形を制御車化改造、クハ170形としてモハ14720の相方や増結車としています。
当初前照灯は名鉄5200,5500系のような3灯だったものが後に2灯シールドビームとなっています。
最初期の14790系や14780系は既に引退し、10020,14720系は残り少なくなりましたが、ハイグレードな地鉄優等車スタイルは後に大量増備された14760系に引き継がれて今後も生き続けそうです。


モハ10025+モハ10026+クハ174

1964(昭和39)年に増備された10020系の第3編成。 クハ174は元付随車のサハ224でモハ10025+サハ224+モハ10026の編成を組んでいましたが1969(昭和44)年に制御車化改造されました。 制御車化後はクハ170形174号となりましたが1995(平成7)年にクハ173形に形式が分けられています。 クハ174は2013年頃から休車状態で、代わりに14760形タイプのクハ175を連結して運転しているようです。 稲荷町から動くことのなかったクハ174ですが2014(平成26)年3月末に電鉄富山から本線、不二越・上滝、立山線の各方面へさよなら運転が行われました。
どうでもいいことですがこの編成は屋根の丸みが特にふっくらとして見え、色も相まって何となく餅か饅頭のような感じがします(笑)



朝ラッシュ時の上滝・不二越線運用に就くモハ10025+モハ10026+クハ174。 通常は3両固定編成でラッシュ時専用のようになっているのでイベント運転でもない限りなかなか走行風景に出会えませんでした。
不二越線、本線 稲荷町



休日に行くと稲荷町の側線にいる様子は見られるのですが、やはり走行を見たいのが地鉄好きの人情。
14720系が塗色変更や車体改造を受けた中で、この編成は最も原形に近いイメージでファンの人気も高いようです。 クハ174がほとんど休車状態だったのでこの編成自体の去就が気になっていました。
稲荷町 上滝・不二越線ホームから



クハ174さよなら運転のときの様子。 既に窓上部に設置されていた行き先表示機が撤去されています。 ファンサービスなのか部品取りで流用済みなのかは不明。
上滝線は富山平野らしい屋敷林のある散居村地帯を行くので風景は長閑で良いのですが鉄道駅を置くには悩ましいところでしょうね。
上滝線 月岡〜大庄



大きく湾曲した月岡駅ホームに停車中。2両目のモハ10026の乗務員扉から車掌さんが身を乗り出しているのが見えますが富山地鉄はワンマン運転が主体。 ラッシュ時の3両編成以上の列車や優等列車になると車掌さんが乗務します。
上滝線 月岡



寺田駅で本線から立山線へとゆっくり入ってくるクハ174+モハ10026+モハ10025。 渡り線で曲がりくねる姿もやはり3連ともなれば堂々たるもの。 前面にスカートを装備していた時期もあるのですが連結器を密着自連から密連に変えたときに撤去されたようです。 個人的にはスカートなしでスノープラウが付いているこのスタイルの方が好きですね。
左の側線に昔モテ10001という旧型電車(1936年日車製の旧モハ7541だったらしい)改造の検測車がいた覚えがあるのですがこれまた写真を撮っていない・・・(^ ^;)
本線、立山線 寺田



屋敷林の間から雪をかぶった立山連峰を望んで富山へと戻っていくモハ10025+モハ10026+クハ174。 これで手前の田んぼに水が張られていたら最高ですね。
立山線 沢中山〜釜ヶ淵



上市発電鉄富山行のクハ174さよなら運転列車。先頭はモハ10025。 日が少し傾いてくる頃は立山連峰が最も映えて見える時間帯。 このときはくっきり見えていたのですが遅い時間帯になるとぼやけてきてしまいました。
本線 越中三郷〜越中荏原


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