1957(昭和32)年日本車輌製でモハ3201の制御車として製造されました。
モハ3201とは一時的に別路線へ配属されたこともありましたが結局は二両一組となる事が多かったようです。 ウィンドウヘッダが撤去されたモハ3201とは異なりクハ1001の方は最後までシル、ヘッダが残り、比較的原型に近いスタイルを保っていました。 どちらかというと貫通化、車体更新前のモハ3750形に近い感じのデザインです。 両運転台のモハ3201に対しこちらは片運転台でしたがクハ1001の連結面側にも尾灯が設置されていました。 |
内灘行の先頭に立つクハ1001。
前面窓は運転席側のみHゴム化されている。
運転席側窓の形状は時代により変わっており、腐食などで頻繁に交換が必要だったのでしょうかね? 北鉄金沢〜七ツ屋 1996(平成8)年3月25日 |
木造客車(旧・能登鉄道(後の北陸鉄道能登線)か国鉄払い下げ?)の台枠を利用して1955(昭和30)年に自社工場(新西金沢工場か)で製作したサハ2000形サハ2001が前身。
当初は電動車化するつもりだったのか前後とも乗務員扉付きでした。
自社で車体製作とはなかなかのものですが、張り上げ屋根でないためデザインは古めかしいものでした。
石川総線でトレーラーとして電動車に牽かれてましたが片側に運転台が設けられて制御車クハ1710形クハ1711となっています。
後に制御機器変更により改番されてクハ1210形クハ1211となっています。 最後まで両運転台とはならず、非運転台側の乗務員扉部分には座席がない空間ができてました。 |
1955(昭和30)年製としては古めかしいデザインのクハ1211。
前面窓は全てHゴム化されています。
側窓は戸袋窓がHゴムな以外はアルミサッシの2段窓となってますが以前は上段がHゴムのいわゆるバス窓になってたこともありました。 北鉄金沢〜七ツ屋 1996(平成8)年3月25日 |
クハ1211と同じ経緯ですがこちらは1956(昭和31)年に東洋工機でつくられたメーカー製。 そのためかモハ3011、3501、3551と似たスタイルの車体を持っていますが非貫通前面の中央窓だけ大きく作られていた。 |
クハ1211と同形式ですがむしろモハ3201やクハ1001に近いデザインのクハ1212。
内灘の洗車・留置線にたたずんでいる姿ですがこの線路はかつて粟ヶ崎海岸へ延びていた本線の名残です。
内灘 1991(平成3)年冬? |
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