北陸鉄道の旧型車1

北陸鉄道の鉄道路線は今では石川線と浅野川線20.6qのみとなりましたが、かつては石川県一円にアヤシゲな(?)車輌たちを走らせていました。 管理人が金沢に住んでいた頃はまだ旧型車の活躍を見ることができ、アヤシゲな鉄道にはまる根源(爆)を作った私鉄です。(おかげでこんなアヤシゲなサイトができてしまった ^ ^;)
80年代末から現在まで種々雑多な車輌たちは整理され、現在北鉄線上に北鉄生え抜きの車輌はED201くらいになってしまいました。 小学生低学年の頃から撮ったもので稚拙な写真ばかりですが整理のためにも出して置こうかと。 各車の詳細な説明はよそのサイトさんやWikiにも載っているのでそちらに譲ります。


モハ3750形

1951(昭和26)年に広瀬車両(大阪府堺市1952(昭和27)年に解散)で2両製造された加南線向けモハ5000形が前身。 後継車の登場で加南線を追われ石川線に移り制御器をHLからALに変更など改造を受けてモハ3750形になりました。

山中線でデビューから間もない頃のモハ5001。ポール使用で塗装も旧塗色の茶とクリームのツートン。
石川線に転属した頃。まだ貫通化前の様子。 モハ3752は改番と同時に貫通化。モハ3751は1年ほど非貫通のままだったようです。
貫通化後の姿。北陸の私鉄特有の前面窓にHゴムを多用したスタイル。
一時期は前照灯がモハ3700形のような2灯シールドビームになっていたこともあるようです。
車体更新改造後。ウィンドウシル、ヘッダも撤去され随分とすっきりした車体になりました。



鉄道の日イベントで鶴来駅3番線に展示されたモハ3751。 ファンサービスなのか廃止された金名線「白山下」の行先表示を出しています。 この頃は既に主力は7000系に変わっており、鶴来の側線から動くことも稀になっていました。 (たまに鶴来〜加賀一の宮で7000系代走をしていたらしいのですが・・・)
それでも車体はいつもピカピカで整備が行き届いていました。
1994(平成6)年10月16日撮影



今は亡き加賀一の宮駅に進入するモハ3751。 恐らく家族で白山比盗_社に初詣に行った帰りに撮影したものと思われます。 この写真を撮影した年の夏には旧型車は置き換えられ、モハ3750形も主力の座を降りて予備車となりました。 よく見ると運転席窓上の車号の字体が1枚前の写真と異なっていますね。
1990(平成2)年1月14日撮影



2006(平成18)年に廃車となり、新製投入された山中線の起点加賀市大聖寺の市内で船下りの待合所となりました。 屋根付きで保存されている割には状態が良くないのが気になるところ。
2011(平成23)年9月11日撮影



一方で引き続き鶴来の側線に留置されていたモハ3752。 除籍された直後で、パンタや方向幕は撤去、車体も結構草臥れています。
2008(平成20)年3月8日撮影



ED301と共に北陸鉄道から売りに出され、保存までの一時期は氷見線伏木駅隣接の旧貨物ヤードに保管されていました。 ここで若桜鉄道隼駅へと引き取られていったED301とはお別れ、隣の万葉線デ7052と一緒に・・・
2010(平成22)年9月26日撮影



何と房総半島の真ん中に現れました。 いすみ鉄道上総中川駅から徒歩20分ほどのポッポの丘という農産物直売場で売り場として使用されることに。 横の除雪モーターカーも敦賀港駅から来たもの。 いすみ鉄道では大糸線にいたキハ52 125も活躍しており、北陸勢が席巻しています(笑)
2011(平成23)年8月14日撮影



化粧直しされてパンタも復活(何かフレームがちと曲がってますが)して生気を取り戻しました。 元いすみ鉄道のいすみ204と連結、貫通幌も接続して不思議な編成になっています。
車内に佇むと涼しい風が吹き抜け、獅子吼高原を臨み加賀平野を快走していた頃が思い出されます。
2011(平成23)年8月14日撮影


北陸鉄道の旧型車2へ ちょっと気になる車輌たちへ


inserted by FC2 system