DB−75

1963(昭和38)年に前任のDB20と交代する形で可児川の名古屋パルプ専用線に入ったDB75。 日本車輌の15t標準型スイッチャーですが、名古屋パルプでは車体を国鉄DL色に塗られていたようです。
可児川駅の貨物取り扱いは1982(昭和57)年に廃止、実際はもっと早くに貨物列車の運転は無くなっていたようで、DB75もお役御免となっていました。



JR高山本線坂祝駅の富山方にあった小西砕石専用線。 類似型の日車15t機が2台いましたが、左の機関車が元名鉄DB75です。
当時は元名鉄機だとは全く知らず、機関車がいたから取り敢えず写真を撮っておこうという気持ちで撮ってました。 機関車はどちらも採石場敷地内を向いて止まっていたため背面しか撮っておりません。悪しからず(^ ^;)
この写真は2002年の撮影で、その後2004年3月に高山本線のキハ47車中からたまたまこの2台が解体されているところを目撃しました。 よって残念ながら現存してません。



奥野君の専用線日記の奥野さんより坂祝での現役時代の正面画像をご提供いただきました。(転載厳禁)
この頃はJR東海の線路用バラスト輸送のためホキ800が出入りしていました。 日本車輌の標準的15t機ですが初期製造分のためラジエターグリルの形状や端梁の形状が違います。
1枚目の写真の左右の機関車を見比べると端梁の切欠き形状が違うことがわかります。 右の機関車(No.5)の方が製造が新しいのです。
また、ヘッドライトも通常の物より大型の物が使われています。


名古屋パルプ専用線跡

可児川駅から隣接する工場(現在は大王製紙可児工場)に入る専用線でした。 専用線新設は1957(昭和32)年3月1日。
貨物列車は太多線接続で新広見(現在の新可児)から入っており、貨物がある時は新鵜沼常駐のデキ300形などが新広見まで単機回送されて貨物を牽いていたようです。 今から考えるとデキ+ワフだけでわざわざ新鵜沼〜新広見を回送するのは結構無駄な気もしますね。
専用線は当時の航空写真で見ると工場の結構奥までレールが敷かれていた様子(作業キロ1.6km)。 入換は名岐運輸が行っていたようです。可児川駅の貨物扱い廃止は1982(昭和57)年11月16日です。



新可児方の踏切から見た可児川駅構内。 かつてはライン遊園と言って、観光地だったせいか駅舎や待合室も瀟洒なものでしたが、今は工場の駅という感じ。 駅舎だけは当時の物が残っています。
左の空きスぺースが側線跡。踏切部分にだけはレールも残っています。



踏切を越えた新可児方の専用線跡上には工場の塀が立っており、外で見られる専用線の痕跡はこれだけです。


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