北府中の不思議な仲間たち



武蔵野線の北府中駅は東芝府中事業所に隣接しており、駅には通勤者専用の通路も接続しています。 この工場ではJR貨物の電機機関車も製造しており、引込線には牽引用のスイッチャーや風変りな車輌たちが見られます。
そもそも北府中駅はこのメーカーの従業員の通勤のために設置された駅で、開業は武蔵野線開業より前・・・中央本線の支線(通称下河原線)の駅として1956(昭和31)年9月1日に開業しています。 実際にはそれ以前から信号場として存在し、戦時中には国分寺から工場への専用通勤電車を運転していたりとややこしい歴史があります。



EH200-21を牽いて工場のゲートから出てくる協三10t半キャブ。 よく見るとこの線路は1067mmと1435mmのデュアルゲージのようです。 1435mmゲージの車輌(輸出用?)も製作しているのでしょうか。



府中本町寄りで北府中駅構内側線(下河原線時代は本線)と連絡しているので一旦そちらまで引き上げます。
因みに機関車手前に見える線路間のスペースが広いところが下河原線の北府中駅プラットホームがあった場所です。 現在でもホーム跡を境として手前がJR線、奥が会社所有専用線としているようですね。



後は推進運転で一気に西国分寺寄りまで移動して引継のJR機到着を待ちます。 小さな半キャブでは大きなEH200越しに前方を見るのは難しいためか先行して線路上を歩く係員さんの手旗合図で移動してました。



JR貨物のDE10が到着し引継。 発車時には工場の従業員の方も巣立っていく新しい機関車を見守っていました。 これからは手前に見える武蔵野線上をコンテナや石油貨物を牽いて何度も通ることでしょう。



今度は新車でなく何やら怪しげな電車たちが出てきました。 スイッチャーや電気機関車が試運転で走っている光景は見たことがありますがこの電車たちは自走しているのを見たことがありません。 何に使っているんでしょうね?
そういえばこの線路自体も通常と異なる点が多いです。 架線を吊っている碍子は随分と大型。 金沢育ちの僕には交流電化の北陸本線の碍子を連想させます。 この工場では交直流電機も製造しているので、恐らく交直両方の電化区間での試運転を行うため、架線電流の交直切換えができるのでしょうね。



現在の主力と思われる協三工業製10t機。 以前は貨物扱いのある駅にはどこでもいましたが今では貴重品になってしまいました。 特に形式や番号の表記は見られません。 真っ赤に塗られたのは比較的最近らしく、以前はオレンジ色だったそうです。



もう1台のスイッチャーは日本車輌製の25t機DB251。 時折置かれている場所が移動してますが、実際に使われているところを見たことはありません。 元は隅田川貨物駅の東京セメント運輸専用線にいた機関車です。 2006(平成18)年3月に同専用線の貨物扱いが無くなり移動してきたようですが、塗装は黄色から赤へ塗り替えても社紋や社名等の表記は以前のまま。



こちらは同じ工場の専用線でも西国分寺寄りから分岐していた線路に留置されていた103系改造の試験車(?)2両編成。 元のクハ103-525+クモハ103-58らしいです。



しばらく後に見に行くとクハ103だけスイッチャー達がいる側に引き込まれてました。 以前は窓まで塗装されていたようですがかなり剥げ落ちています。果たして今でも何かに使っているのでしょうか?



もう1台の電車はクモニ83005。 国鉄ファンにはおなじみの荷物電車です。 旧型国電モハ72に新製車体を載せ、東海道本線などを113系と連結して走っていた姿を写真で見たことがあるくらいで僕も現役時代は見たことがありません。
塗装は湘南色で鉄道総合研究所の検査表記が入っているのですが字体が何か変(^ ^;)
府中本町寄りの前面には簡易貫通扉(?)や手摺も付いており謎の改造が施されているようです。 方向幕が今は懐かしの「小郡」(駅名改称で新山口に変わってしまいました)になっているのも何だか気になります。 本線につながるレール上に載る貴重な旧型国電ですがこれも用途不明。


西国分寺寄りから分岐した線路はそのまま工場敷地の北半分をぐるりと巻くように続いています。 ただしレールは間もなく見えなくなり、立派な架線のみが続きます。 工場の外周道路からみると一見JRのローカル線でもあるかのような光景です。



工場の西北端近くまで来ましたが架線は南へカーブしながら続いています。 工場西側の架線終端部。かつてはもっと先まで延びていたような雰囲気があります


東芝府中工場専用通勤電車

東芝府中工場では戦時中に従業員の通勤のため、国分寺〜府中工場に通勤電車を走らせていました。 当時は下河原線の旅客営業がまだ行われていなかったためか自前で走らせることにしたようです。
車輌は1944(昭和19)年日本鉄道自動車製の電車で、東芝での形式や番号は不明です(貨物線とはいえ国鉄線上を走るので形式はあったと思われます)。 名鉄のモ770形(初代)、富山地方鉄道モハ7510形と同型車で、車体は平凡なスタイルですが台車はNSC31という国電のDT12のような台車を履いているのが特徴的でした。
戦後は京王帝都電鉄に移籍し、1形式1両のデハ1750形1751となって井の頭線に投入されています。 1952(昭和27)年にはデハ1660形1661に改番、さらに1957(昭和32)年には荷物電車デニ100形101へと改造され、井の頭線の小荷物輸送を行いました。 片側3扉の他の車両と違って2扉のため旅客扱いが面倒だったのでしょう。 1971(昭和46)年に廃車されています。


京王デニ101時代の様子


ちょっと気になる車輌たちへ

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