温根湯森林鉄道
石北本線留辺蘂駅より温根湯温泉郷を通り石北峠方面へ本線が延びていた森林鉄道。 1919(大正8)年に北海道庁拓殖部林務課による官業斫伐事業が温根湯、置戸で開始されるのに伴い温根湯森林鉄道幹線の測量開始。 翌1920(大正9)年10月着工、1921(大正10)年8月に12,300m完成、同年9月25日より運材を開始している。 その後は施業場所の移動や拡大に伴って幹線、支線の改廃があり留辺蘂〜層雲峡事業区内の幹線だけでも52,785mに及んでいた。 沿線には水銀鉱山のイトムカ鉱山が開発され大町には鉱山町が形成され鉱業所へは森林鉄道からの引込線もあり人員輸送を行っていたという。
戦後は林政統一により1947(昭和22)年5月1日に道庁の留辺蘂営林区署から北見営林局留辺蘂営林署に引き継がれている。 起点の留辺蘂貯木場には北見営林局の森林鉄道車両や集材機などの林業機械、トラックの修理などを行う留辺蘂総合工場が置かれ北見局技術部門の中枢でもあった。
1953(昭和28)年からは現在の国道39号線石北峠より南方の旭北峠(1,030m)を越え旭川営林局上川営林署管内の運材も行っており、峠越えのため国内の森林鉄道では最大、最強の15tディーゼル機関車を導入していた。 新鋭機関車を大量導入した大規模森林鉄道だったが撤去は意外と早く1960(昭和35)年度で大半の路線が撤去、その後も残っていた42号支線も1962(昭和32)年度で撤去され全線が消えた。
路線概略図


温根湯森林鉄道のディーゼル機関車

北海道における森林鉄道用ジーゼル機関車について(小熊 米雄)の機関車一覧表(以下「小熊リスト」)を元にイラストを作成。


No.11、12
1951(昭和26)年11月に高知の野村組工作所より購入された10.0t機。
当初は置戸営林署置戸森林鉄道に配置された。 野村組機としては異例の大型機でエンジンは日野DA-55を搭載している。 北海道のディーゼル機関車としては十勝鉄道が日立製作所1951(昭和26)年10月製造のDC1を導入しており、これとほぼ同時期に製造された機関車である。
留辺蘂営林署へは1952(昭和27)年6月に移管された。 運材作業の安全強化、合理化のために期待されたディーゼル機導入だったがトランスミッション、ディファレンシャルの故障が頻発。 製造元が遠隔地のため交換部品もなかなか届かず運材に支障を来たす有り様だった。 留辺蘂貯木場に隣接した留辺蘂総合工場では割れたギアを低温溶接したり、シャフトを新製してだましだまし使っていたが9月にはNo.12が使用不能に陥ったため、 苦肉の策としてNo.12の使える部品を利用してNo.11を何とか走らせる状態だった。
一方で1953(昭和28)年5月に協三工業製10t機No.17が就役すると稼働成績で大きく水を開けられている。
1953(昭和28)年7月には野村組工作所から改良型のトランスミッションが届くが相変わらず故障が多く協三機と同型のトランスミッションに変えたかったようだ。 1955(昭和30)年頃にトランスミッションを交換したようだがこれが協三と同型かは不明。
導入当初はさんざん手を焼かせる機関車だったが温根湯林鉄末期まで1台は生き残っていた様子。 この機関車がNo.11、12のどちらだったかはわかっていない。

No.11
塗装は全くわかっていないので根利の林業機械化センターで保存されている同じ北見局No.43の青色を元にしている。 形状は北海道開拓の村や魚梁瀬で保存されている野村組5t機をそのまま大型化したような武骨そのもののスタイル。
ボンネット上のやたらと太い排気筒は小熊リスト掲載の写真によるがこれは駐機中に雨水侵入を防止するため被された雨避けカバーかも知れない。
エンジン起動用のクランク棒がぶら下がっているがセルモーターが無かったのか非常用なのかは不明。
クランクによるエンジン始動時はこの棒を前面中央、ラジエター下に見える穴から突っ込みエンジンのクランクシャフトを回す。 なおセルモーターがある林鉄機関車でもエンジン始動用のクランク穴は大抵設けられている。


No.17
1953(昭和28)年3月購入の協三工業製の10.0t機。同年5月より就役している。 エンジンは野村組製No.11、12と同じ日野DA-55を搭載していた。 故障を連発するNo.11、12に対し好成績を収め、これ以降温根湯林鉄に導入された内燃機で判明しているものは全て協三機である。 No.17は1957(昭和32)年頃には丸瀬布署に転属しており(※1)武利森林鉄道で使われたものと思われる。

No.17(推定)
小熊リストに載っているNo.17の軸距、車輪径と寸法が一致する協三10t機の図面を元にしてイラストを作成。 寸法や同時期の協三機の形状からNo.17と推定されるが状況証拠より推定したものに過ぎないことをお断りしておく。 図面だけなので当然塗装やディテールもよくわからない。



1952(昭和27)年10月協三工業製12.0t機の尾小屋鉄道DC121。
後退角の付いたボンネット構造やキャブ側面の形状がNo.17(推定)とよく似ている。 石川県小松市内の新小松〜尾小屋16.8kmで尾小屋鉱山からの鉱石輸送や客車牽引に使われたが1977(昭和52)年3月20日に路線廃止。 2018(平成30)年2月現在は小松市内の粟津公園で動態保存中。普段の保存運転には気動車が使われるがイベント時などに客車を牽引する姿が見られる。


No.18
1954(昭和29)年1月購入の協三工業製15.0t箱型機。留辺蘂には1953(昭和28)年12月に到着している。
エンジンは最大出力200HPの日野DL-10を搭載し国内の森林鉄道機関車最大最強を誇った。 1954(昭和29)年5月に就役し性能も安定していた様子。 同年洞爺丸台風後の風倒木輸送のため1955(昭和30)年度中に4両が増備され旭北峠を越え旭川営林局内からの山越え運材に威力を発揮したが1960(昭和35)年度中に温根湯林鉄全線撤去に伴い5台中4台が丸瀬布署武利森林鉄道へ転じている。

No.18
末期の温根湯森林鉄道の代表的なディーゼル機関車。 塗装はクリームとダークグリーンの2色(※2)だったとのこと。 エンジンルームのトランスミッションから動力は床下のプロペラシャフトに伝えられ前後の板台枠台車を駆動する構造。 なおフックリンク式連結器も台車枠に付いている。 運転席は右側運転台でブレーキハンドルが見えている。 森林鉄道内燃機関車運転席は一般的な鉄道車両の左側運転席ではなく自動車と同じ右側運転席のことが多い。
 主要寸法:全長7100mm 全幅2048o 全高2825mm 台車間距離4500mm 軸距900mm 動輪径620mm


番号 製造元 購入年月 軸配置 機関形式 変速装置 ブレーキ装置
11 野村組工作所 1951(昭和26)年11月 B 日野DA-55 機械式 空気、手用
12 野村組工作所 1951(昭和26)年11月 B 日野DA-55 機械式 空気、手用
17 協三工業 1953(昭和28)年3月 B 日野DA-55 機械式 空気、手用
18 協三工業 1954(昭和29)年1月 B-B 日野DL-10 機械式 空気、手用


(※1)北海道における森林鉄道用ジーゼル機関車について(小熊 米雄)、北見営林局事業統計書(北見営林局)
(※2)軽便鉄道模型祭公式ブログ【第9回】記念製品 温根湯の協三15tボギーDL エッチング板


ディーゼル機の運転成績   森の鉄路へ


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