1959(昭和34)年9月26日に伊勢湾台風で四日市も被害を受けます。 また近鉄名古屋線が復旧と同時に改軌され、塩浜駅構内の国鉄・近鉄連絡線も撤去、国鉄連絡の貨物輸送網から外れました。 東洋紡塩浜工場専用線は専用線一覧1957(昭和32)年版では既に記載がないのですが実際の廃止時期は不明です。 東海硫安工業→東海瓦斯化成工業専用線 戦後放置されていた海軍第二燃料廠跡南西部に昭和四日市石油四日市製油所が建設され、東海硫安工業専用線が大きく付け替えられました。 また同社は1961(昭和36)年8月に東海瓦斯化成に社名を変更。三菱グループの資本参加を受け以後三菱色が強まります。 昭和四日市石油四日市製油所専用線 海軍第二燃料廠跡を利用し石油精製を行うため昭和石油、シェルグループ、三菱グループが1957(昭和32)年11月に昭和四日市石油を設立。 1958(昭和33)年5月に竣工、原油の精製を開始しています。 専用線は東海硫安工業専用線から分岐する形で建設され1958(昭和33)年10月15日に敷設完了。 三菱モンサント化成四日市工場専用線 1952(昭和27)年1月に三菱化成工業と米モンサント社がモンサント化成工業を合弁で設立。 塩化ビニルを国内で初生産しています。 近鉄海山道駅横の側線から北へ分岐する専用線は1960(昭和35)年頃にできたものと思われます。 |
昭和四日市石油線の製油所入り口に残る分岐跡のコンクリート橋は扇状になっており、線路がこちらにもあったことを物語っています。 現在昭和四日市石油線になっている塩浜駅からここまでの区間も元々は東海硫安の専用線で、昭和四日市石油線が途中分岐する形で敷設されました。 | 元々はこちらが本線でしたが先に廃止となったため、分岐から塩浜駅までの区間は昭和四日市石油線に編入されています。 敷地内で分岐しているので分岐より奥はどうなっているのか測り知れませんが、少し先に踏切警報器が残っているのが見えます。 今では残り少ない電鈴式のものです。 |
海山道の四日市方から分岐していた跡。 三菱化成(専用線末期は三菱化学)専用線の機回し線として一部は残ってましたが同専用線廃止後撤去されました。 | 塩浜貨物線が天白川へ上っていく手前で分岐していた跡は残ってませんが、その手前の踏切にコンクリート橋が残ってます。 |