尾張一宮の専用線
@東邦瓦斯一宮製造所専用線
東邦瓦斯線は1929(昭和4)年4月17日に名古屋鉄道管理局が敷設承認しており、使用開始はその少し後と思われます。
一宮製造所は1909(明治42)年に創立された一宮瓦斯が前身。1922(大正11)年に東邦電力に合併、翌1923(大正12)年に東邦瓦斯へ事業譲渡され同社一宮製造所となっています。 当時はガスの原料に石炭を使用しており、コークス炉で石炭を蒸し焼きにしてガスを精製、副産物としてコークスが生産されていました。
専用線は原料の石炭搬入に使われていたようです。 因みに一宮製造所は1953(昭和28)年度に年間3,419tの石炭を使用しており、単純計算で15t積無蓋車トムだと228両分ということになります。
ガス需要は戦後の一宮市人口増加等で延びて行きますが、製造施設の老朽化もあり、名古屋市内からガス管で送る方が効率も良いとして一宮製造所は1953(昭和28)年に生産を停止。 1953(昭和28)年時点で専用線が0.1kmに短縮されてますがその影響なのかは不明。 専用線一覧上では1957(昭和32)年〜1964(昭和39)年の間に休止になっていますが実質1953(昭和28)年時点で使われなくなったものと思われます

A日本毛織(以下ニッケ)一宮工場専用線(東邦瓦斯専用線から分岐)
1928(昭和3)年に日本毛織(以下ニッケ)が中心となり設立した昭和毛絲株式会社。 弥富工場(弥富工場専用線参照)に続き、一宮工場が1932(昭和7)年7月に操業開始。 工場建設資材や原料製品輸送のため1931(昭和6)年に東邦瓦斯専用線の末端を延長する形で専用鉄道が運行開始。 専用鉄道の機関車は当初ディーゼルで申請していましたが、調達できなかったのかガソリン動力に申請し直しています。 このガソリン機関車がいつまで使われていたかは分かりません(戦時中は代燃化してたか使用中止してたと思われる)が1951(昭和26)年の専用線一覧では国鉄機が入換に使われていたことになってます。 なお1951(昭和26)年8月21日に専用鉄道から専用側線に切り替わっています。 廃止時期はよくわかりませんが昭和30年代中と思われます。

入換は東邦瓦斯線が当初手押し、ニッケ線は1931(昭和6)年日本車輌製3.5tガソリン機関車が使われました。 後に両線とも国鉄機(稲沢か名古屋のC11,C12辺り?)、1957(昭和32)年のニッケ線に関しては入換作業を日通が担当、日通の貨車移動機が入っていたようです。 →地図


尾張一宮駅北側すぐ。東邦ガス一宮営業所に向かって分岐していく道路。 左側の歩道部分が専用線跡ではないかと思われます。
明治の末からここでガス製造を行っていましたが、現在は製造・貯蔵施設が無くなり営業所のみになってます。
一方のニッケ線は高架化された東海道本線沿いにひたすら延び、日光川を渡る手前で本線と少し間隔を開けていました。 車道が線路跡で、左に不自然に現れる広い歩道のスペースがかつての線形を示しています。


日光川の橋は架け替えられて橋台もつくり変えられています。 かつては専用線の葭原橋梁(鉄道作業局錬鉄鈑桁=ガーダー橋)が架かっており、廃線後も人道橋に転用されていたようですが後に架け変え。 専用線があった部分に新設された塀。明らかに既存の右側とつくりが違います。 因みにここに鉄道門があったわけではなく、後50mくらい塀に沿って走ってから工場内に入っていました。


専用線末端から見た様子。塀は廃線後につくり替えられたもので、丁度専用線の真ん中辺りに建っているものと思われます。 ここからスイッチバックして倉庫群の前にある荷卸しホームへ貨車を押し込んでいたのでしょう。 原料の羊毛輸送を行っていたと思われます。 またボイラー用の燃料輸送(石炭)もあったかも知れません。 東海道本線と名鉄名古屋本線の反対側から見るとこんな感じ。 東海道本線の電車内からは構内も見えますが、レールやプラットホームは一切残っていません。 この工場は1945(昭和20)年7月の2度に渡る空襲で専用線傍にあるボイラー室(奥の一番高い建物。かつては屋根に煙突も突き出てた)を残し灰燼に帰しています。



ニッケ工場内の配線図。開業から廃止まで配線に変化はなかったようです。 空襲の際建物はほとんど焼け落ちたようですが線路は比較的被害が少なかったのでしょうか。
尾張一宮からやって来た列車はスイッチバックで貨物ホームに至っていました。 機回し可能なだけでなく、渡り線があることで貨物ホームに横付けしている貨車を途中から差し替えることもできそうです。 ただスイッチバックするということはその分貨車の編成長に制限が付くため不利な気もしますが、どの程度貨車が発着していたのかも気になりますね。

ガソリン機関車
1931(昭和6)年日本車輛製の3.5t機。 日車の記念すべき初の1067mm軌間用内燃機関車なのですが「日車の車両史」にも写真や図面は掲載されてません。 極々初期の試作車に近いものと思われますが走行実績はどんなものだったのでしょうね?
戦時中はガソリン使用禁止になっていたはずですが代燃化して使われてたのかお蔵入りしていたのかは不明。
この機関車の諸元が載っていたのは鉄道省文書です。 この文書では添付されていたはずの図面がほとんどなくなっているのですが「瓦斯倫機関車設計ノ件」には何故か独コッぺル社のモンタニアGLの図面が添付されてました。 日車の機関車とは寸法がまるで違うのですがこれで鉄道省に提出したんでしょうかね(^ ^;)
それとも省内で取り違えたのでしょうか? 親会社の日本毛織名古屋工場専用鉄道から同社印南工場専用鉄道に転じた機関車が類似タイプのはず(寸法は違う)ですが偶然でしょうか?

形式 番号 製造元 製造年 軸配置 寸法(単位:mm) 自重 機関 変速方式 駆動方式 制動機 燃料容量
全長 全幅 全高 固定軸距 車輪径
日本車輛 1931 B 4000 1670 2100 1050 500 3.5t フォードA フリクションドライブ チェーン 手動制動機 37.84l


私有貨車
ニッケ一宮工場では私有貨車も所有していたようです。 戦時中にその内の10t積有蓋車1両が1943(昭和18)年に田口鉄道へ譲渡されています。 元は省有貨車の払い下げと思われますが、鉄道省以前→ニッケ時代の形式・製造所・製造年など詳細不明。 田口鉄道→豊橋鉄道田口線ではワ81として廃止まで使われていました。
譲渡時のデータでは全長5610mm×全幅2505mm×全高3450mm 軸距3048mm 車輪径864mm


参考:日本毛織百年史(日本毛織 百年史編纂室)
 東邦瓦斯50年史(東邦瓦斯)
 専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
 鉄道省文書・昭和毛絲紡績・昭和六年〜昭和十四年(鉄道省監理局総務課・鉄道課)
 日本毛織所属貨車譲受使用の件(鉄道局)
 日本製機関車製造銘板・番号集成(渡辺 肇/著)

撮影日 2012.03.06
2012.03.11

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