DB−70 |
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常 備 :三興製紙(森上) 製 造 :1963(昭和38)年 日本輸送機 両 数 :1両 全 廃 :1979(昭和54)年 全国で同型が見られたロッド駆動の15t機・・・とは言え最近では同型機も少なくなりました。 尾西線森上駅から分岐していた三興製紙祖父江工場専用線で使用。 以前から活躍していた蒸気機関車C351を置き換えました。1978(昭和53)年7月23日に森上駅貨物営業廃止で失職、翌年除籍されています。 その後坂祝の小西砕石専用線に移ったようです。 僕が2000年に同専用線を見た頃にはいなかったのでそれ以前に廃車になったものと思われます。 国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムで公開されている航空写真にDB-71らしき機関車が貨車を牽いて森上駅へ進入しようとしているシーンが写ってます。 四日市 1975(昭和50)年9月10日14時1分10秒 ・・・画面右上の方、尾西線と専用線が合流する地点。貨車の先頭(下)に付く赤い機関車が見える。 四日市 1975(昭和50)年9月10日14時1分20秒 ・・・画面中央左上方、貨車から機関車が離れる。新一宮方(上)の踏切を貨車が塞いだまま!(^ ^;) |
DB−75 |
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常 備 :名古屋パルプ(可児川) 製 造 :1963(昭和38)、1969(昭和44)年 日本車輌 両 数 :1両 全 廃 :1981(昭和56)年 各地でよく見られる日車15t機・・・とは言えこれも最近では少なくなりました。 DB-75はDB-20の代替で可児川の名古屋パルプ専用線に入線。 車体塗装は国鉄DL色。 専用線廃止後は近所の高山本線坂祝駅の小西砕石専用線に移籍。 なお小西砕石の日車15t機は2台いたが、90年代末には廃線、2004(平成16)年3月に両車とも解体中の様子を高山本線の車窓から目撃している。 DB-76は1969(昭和44)年にDB-5の代替でユニチカ岡崎工場専用線に入線。 1971(昭和46年)10月にこの専用線の起点が国鉄岡多線北岡崎(信)へ付け替えられたことで名鉄籍を離れる。 1974(昭和49)年に後継の日車35t機が入ってから移籍した模様。 ないねんリストによれば1976(昭和51)年10月時点では元DB-76と思われる機関車が東海道本線笠寺の住友セメント、三井東圧専用線No.6(日通機)となって在籍していた様子。 笠寺以前にもどこかの専用線にいたようでDB1511という旧番号も見られたとか。 |
DB−80 |
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常 備 :愛知県営側線(名電築港) 製 造 :1964(昭和39)年 日立製作所 両 数 :1両 全 廃 :1965(昭和40)年 名古屋臨海鉄道引き継ぎ ロッド駆動の25t機。 時期的に名鉄籍だった時代はほんの僅か。日通機です。 他の日通機と同じく名古屋臨海鉄道に引き継がれ、1986(昭和61)年まで使われていたようです。 |
DED8500 |
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常 備 :小牧、三柿野、愛知県営側線(名電築港) 製 造 :1944(昭和19)年 アメリカGeneral Electric(ジェネラル・エレクトリック) 両 数 :2両 全 廃 :1966(昭和41)年 終戦直後に米軍がフィリピンから持ち込んだ電気式ディーゼル機関車。 日本に持ち込まれた8台のうちの軍番号8584,8589号が1956(昭和31)年に名鉄へ払い下げられ、そのままの番号で使われました。 形式DED8500形の"DED"真ん中に入る"E"は電気式(Electric)を表していると思われます。 他の6台に関しては5台が国鉄へ引き継がれてDD12に、1台は八幡製鉄所に払い下げられてます。 当初は米軍関係の輸送に使われ、DED8584は各務原線で高山本線と接続していた新那加と三柿野の米軍岐阜キャンプの区間、DED8589は新鵜沼と小牧基地(米軍撤退後は自衛隊所有となった航空自衛隊小牧基地専用線に乗り入れ)の間で使われていました。 米軍の岐阜キャンプ撤退、小牧基地専用線電化後は両方とも愛知県営側線に移り、名古屋臨海鉄道移管まで活躍しました。 特に伊勢湾台風直後は線路の復旧作業や被災した電気機関車の代わりに常滑線の貨物列車を牽いたりと大活躍したそうです。 名鉄で廃車後は縁あってか古巣のフィリピンの鉄道に売却されました。 |
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