土岐口駅構内の土岐市寄りに残る古そうな木造倉庫。 貨物列車から積み下ろされた貨物はここに出し入れされていたのかなあと思われます。 土岐口駅の上り場内信号機の土台(右端の柵の根元の四角いコンクリート)に見送られ次の下石(おろし)駅へ向かうことにします。


土岐口を過ぎた辺りからこの近辺の名物、美濃焼きの産地らしい雰囲気になってきます。 線路際には怪シゲな陶土工場などがあちらこちらに、どっかにトロッコでもないかなあ・・・ と思っていたら線路跡脇にトロッコ用のか細いレールが突き刺さっていました。 まだトロッコが現役の工場はないものでしょうか!?


ただ遊歩道を撮ってもつまんないので鉄道現役時を偲び土岐市行きのモハ101を落書き!こんな風に陶土工場の合間を電車が走っていたんでしょうね。

難読駅名の下石(おろし)駅跡は東濃鉄道バス・タクシーのターミナルに。 鉄道の駅前らしい雰囲気は未だに感じられます。 鉄道時代は乗降客数が土岐市の次に多かったそうですが今では人の気配がありません。


土岐市立総合病院で遊歩道は一旦終わり、廃線跡は県道に飲み込まれます。 妻木川沿いの渓谷区間ですが鉄道廃止後、線路をつぶして下手にあった県道を移設したようです。 よく見ると県道の下に旧県道のガードレールが霜げて残ってました。
渓谷を抜けると下石の町に入ります。ここで遊歩道が復活、山神駅の手前までこの遊歩道が続きます。


下石の先で県道が駄知線をオーバークロスしていた跡。 今でも陸橋だけが残り奇妙な風景になっています。 陸橋の下は架線を吊っていた碍子や電信線が生々しく残り、 ここだけはつい最近廃止になったかのように感じられます。

土岐紅陵高校の下を通り、山神駅まで上り勾配が続きます。 遊歩道は徐々に住宅街から山腹の林を行くようになります。 右の赤丸の中に何かの信号機の跡のようなものがありまが何かは不明。 この少し山神側にも対になってもう一つ同じような土台跡があります。


レール利用の土留め。しかしレールで支えていた木板が腐り、今にも崩壊してきそうな感じ(^ ^;)。 落書きしてある電車はクハ212です。 廃線利用の遊歩道は土岐市総合公園で終わり。 ここから山神駅まで一部は埋められているものの切通しが残っています。ED1001牽引の貨物列車を落書き。


上のレール群がちょっと気になったので刻印をざっと解読してみることに。解読できたものは以下の通りです。
 1) CARNEGIE STEEL CO L.T.D
 2) D.K 1906 Y. N.T.K.
 3) llllllll NANKAI
あまりレールの刻印については詳しくないのですがわかる範囲で考察してみましょう。 1)は製造会社名、古レールとしては御馴染み、アメリカのカーネギー社製ということが分かります。 2)の"D.K"は工場名の略称と思われますがよく分かりません。"1906"は製造年。"Y"は60ポンド(30kg)レール。 "N.T.K"は納入先のイニシャルと考えられますが日本鉄道(JR東北本線、常磐線等の前身)、西成鉄道(JR大阪環状線等の前身)、 南海鉄道(言うまでもなく南海電鉄の前身)など複数がこのイニシャルを使っているので特定はできませんが・・・ 3)で"NANKAI"のイニシャルが出てくるので南海鉄道で使われていたレールのお古を使っていたものと考えられます。

読み間違い、思い違い等あると思いますので何かご存知の方がいらっしゃればご教授いただけると幸いです。


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