中津川、木曽川、山の田川、付知川とどこまでも川に付き添ってもらいながら延びる北恵那鉄道。
「川は交通の母」と言いますが正にその通りだということを実感します。


ここで線路脇に鉄道標識発見!! 文字が剥げ落ちて分かりにくいですが上は「R」、下は「5」ではないかと思われます。 曲線標だったのでしょう。 近くにもう1本似たような標識がありましたがこちらは完全に塗装が剥げて解読不能です。 第4山之田川橋梁。橋桁を最後にペイントしたのは1966(昭和41)年10月、橋梁の長さは9.14mとのこと。





川側の線路脇に石垣が・・・プラットホーム?こんなところに駅はないはずなのでただの護岸?



ところがこのプラットホーム(?)の背後には道路橋跡らしいものが!!こちら側(右岸)には線路しかありません。 橋台・橋脚の石の積み方もその他の恵那電の橋梁施設と似ているので関連はありそうです。 一時的に貨物積み込み施設でもあったのでしょうか??ここは謎のままです。

このプラットホームですがどうやら石材積み出しホームの跡ではないかと思われます。
この周辺は今でも石切り場があり、苗木周辺には石材加工工場が多数見られます。 北恵那鉄道もかつては石材輸送を行っており、 山の田川沿いの区間にはこういった積み出しホームがいくつか存在していたそうです。


現役のローカル鉄道でもよく見られるレールの止め具が落ちてました。これも腐るほどあります。 右上にこの止め具の使用例として岳南鉄道吉原駅にある同タイプの止め具の写真も出しときます。




この人跡未踏区間で最もきつかったのが最後のこの区間・・・。 山の田川との高低差はもうほとんどなく、増水対策のため防波堤のような護岸が築かれていました。
しかしこの区間、軌道敷が枯れススキに覆われ、暗渠を踏み抜くかもしれない危険があります。足場をしっかり確かめ少しずつ前進。 へとへとになってようやく田園地帯に抜けます。振り返って撮ったのがこの一枚。
はああ、疲れた・・・(-д-)


田園地帯に入ると圃場整備で線路跡は消え失せます。 唯一画像の右の方に第5山之田川橋梁の橋台だけが残ります。 現役時の線路は左上にカーブして画像左端の山之田川駅へと至ってました。 山之田川駅に残るプラットホーム跡。 かつては貨物取扱量が多く、中津町駅の構内入換用デキ501もここまでの区間貨物列車は牽いてきていたそうです。



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