蛸路〜下蛸路の線路跡。画面奥が蛸路駅。下蛸路駅跡まで田んぼの中を緩やかな下り勾配の砂利道が続きます。 廃線なのに思わず列車の走行写真を撮れそうな場所を探してしまいました(^ ^;)。 ここから俯瞰で軽便凸型電機牽引の混合列車を撮影できたらなあ・・・


蛸路〜中万(ちゅうま)の間は線路跡の面影がよく残っています。 県道59号と交差した先は舗装道路に変わり、中万駅付近までいかにも軽便鉄道跡らしい細い道が続きますが その先は県道701、700号線に飲み込まれ、軽便鉄道の面影はあまり見られなくなります。


射和(いざわ)駅跡。バス停&転回場になっています。 列車の交換設備があったためか他のバス停より広いつくりになっています。 終点大石駅跡。 元の駅舎の土台上にバスターミナルの建物が建ち、ホームがバス乗り場に変わっただけで鉄道の駅のような雰囲気が感じられます。




大口線

松阪の次の平生町から分岐し、紀勢本線(大口線現役当時は参宮線)、近鉄を乗越えて港のある大口まで延びていた短い路線です。 列車の運行休止が1948(昭和23)年と早く、何も残っていないかと思いきや意外と遺構が残っていました。
平生町から国道42号線との交差付近までは何も残っていませんが、その先は細い道路として国道23号線に突き当たるまで続いています。


天神前駅跡。畑にプラットホームの残骸のコンクリート片が転がっています。 大口駅跡。道路を挟んで右側はもう港。 臨港線的な路線だったようです。


大口駅跡の資材置き場に転がっていたレール。大きさからして軽便鉄道のレールのようですがまさか大口線のもの?


撮影日 2005.02.20



松阪線の列車

モニ200
 
モ250
松阪電気鉄道が1927(昭和2)年の松阪〜大石電化時に3両準備した日本車両製のデ31形。 車両の片隅が荷物室になっており、荷物用扉が付いているのが特徴です。 三重交通合併後にモニ200形となっています。 松阪線廃止まで活躍し、その後は当時同じ会社の路線だった内部・八王子線へ転出、 電装解除の上、サ110形として近鉄合併後も使われていました。   モニ200と同時に2両導入された付随客車フ21形が前身。 客車とはいえ車内電源用にパンタグラフが付き電車のような外観でした。 戦後実際に電車化されてモ250になっています。 こちらはモニ200と違って荷物室がないため片側2枚扉です。

 

松阪線ラッシュ時の列車デ61+サ422+サ461
ラッシュ時の松阪線では1927(昭和2)年田中車両製の凸形電気機関車デ61や電車が2〜3両の客車を連結して走っていました。 客車は同じ三重交通の路線だった北勢線から転入してきた木製客車サ420形や元中勢鉄道(津〜伊勢川口 1944廃止)のガソリンカー改造のサ460形が使われていました。
因みに長編成(?)で走るにもかかわらず直通ブレーキがなく、停車時は先頭車のブレーキだけで全編成を停車させていたそうです。 蛸路や大師口付近に勾配のきつい区間があるのでかなり危険な気がしますが(^ ^;)


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