北鉄が名鉄傘下に入った後に転入して来た元名鉄組。
元は1928,9(昭和3,4)年日本車輌製の愛知電気鉄道(以下愛電)デハ3300形。
愛電の代表的車輌で神宮前〜吉田(豊橋)の超特急「あさひ」にも使われていました。
大型にゴツイ車体から「大ドス」と通称されていたとか。 名鉄合併後はモ3300形となっていましたが、1966(昭和41)年に機器を3780系に譲って引退。 北鉄が譲り受けたのは車体のみで台車や機器は北鉄在来車のものを転用しています。 |
雨の加賀一の宮にモハ3773が入線。
ニス塗り(うろ覚えですがそうだった気が・・・)の車内にずらりと並ぶつり革が網棚にガチャンガチャンと当たる音が印象的でした。
この車体が名鉄特急の元祖とは当時知る由もなし。 この頃は更新改造車のモハ3750、3760形が主力で、元名鉄の旧型車はラッシュ時のみ使用だった模様で、夕方のラッシュを迎え鶴来から回送されてきたところだったようです。 因みにモハ3751の写真では完成しているプラットホーム嵩上げ工事がこの時はまだ途中。 1989(平成元)年9月15日撮影 |
モハ3770形と同じく元は愛電デハ3300形と同系の片運転台車デハ3600形。 デハ3600は名鉄でモ3600(初代)→モ3350と改番されています。 モ3300、モ3350には名鉄時代末期に電装解除され片運転台の制御車ク2340形に改造されたものがあり、北鉄ではク2340形3両とモ3350形1両の車体を譲り受けています。 名鉄時代の機器はやはり3780系に転用されたため北鉄在来車の機器を使って登場させました。 |
鶴来車庫で休むクハ1723。
後日小学校の遠足で乗った際にモハ3773のように吊り革が網棚にあたる音を期待して乗ったら吊り革がドア付近にしかなく拍子抜けした覚えがあります。
側窓が上段Hゴム支持の所謂バス窓に改造されているのが特徴的。 野町のサボに丸い準急表示板も添えられていかにも旧型電車らしい雰囲気を出しています。 前面貫通扉の窓に対し左右の窓が高いのは名鉄時代に高運転台化改造されていたためでしょうか。 1989(平成元)年9月15日撮影 |
こちらも元名鉄組。
1931(昭和6)年日本車輌製の知多鉄道デハ910形。
知多鉄道の親会社が愛電だったため、前述のデハ3300形のショーティー化したようなスタイル。
名鉄合併後はモ910形となっていましたが機器を3730系に譲って制御車化されク2330形に、と思いきや瀬戸線の木造車追放のために600Vで再電装されてモ900形として返り咲きます。
さらに転換クロスシート化の上スカーレットに白帯塗装、ミュージックホーンまでついて特急運用に就いていました。 瀬戸線では1978(昭和53)年に架線電圧1500V昇圧のため引退。 北鉄入りしたのはまたも車体だけで、機器は他の北鉄車と共通化するため在来車の機器を使ったそうです。 |
鶴来駅3番線(旧能美線乗り場)に留置されるモハ3743。
上から順に段々ひどい写真になってきてますがご勘弁を(^ ^;) 名鉄瀬戸線で特急車として使われていた名残の転換クロスシートが窓越しに少し見えています。 1989(平成元)年9月15日撮影 |
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