北陸鉄道浅野川線の旧型車1

石川線は1990(平成2)年7月24日に東急7000系(初代)ステンレス車を譲り受けて一部の予備車を除いて全車を置換えが行われました。 一方で浅野川線には旧型車がもう暫く残り1996(平成8)年12月19日に架線電圧が直流600V→1500Vと昇圧されて元京王井の頭線3000系の8000系に置き換えられるまで残りました。
どれ一つとして全く同じ形をした車両がいないという個性豊かな路線だった割に旧型電車、私鉄ファンの間でも人気はいま一つだった気がします。 全車が窓のHゴム化や前照灯のシールドビーム化などで原型をとどめていなかったこと、ほぼ全線が都市近郊の特に変哲のない住宅地なのが原因でしょうか。 夏は蒸し暑く冬は寒い上に年中湿気が多い過酷な気候(夏は涼しいと誤解している人が結構見られますが・・・^ ^;)の北陸では車体の腐食も激しく、走行中に隙間風があるのは乗車する側も乗務する側も苦しめることになるので致し方のないことでしょう。
私の場合は最初に知ったローカル私鉄が北陸鉄道だったので各地の環境に合わせて実用本位で改造された車両や設備の姿こそが地方私鉄の面白味だと思ってます。
さて、北陸鉄道はかつて石川県内各地に別々に開業した中小私鉄の寄せ集めで線区がある地域もバラバラ。 その各線区を渡り歩き少しずつ改造されていった車両たちの経歴はあまりに複雑です。


モハ3010形モハ3011

1958(昭和33)年日本車輌製で全長15,600mmの電車。 当時の北陸鉄道標準スタイルで当初前面は片側が貫通扉付き、片方が非貫通でしたが後に両面とも貫通化 新製時から順に石川総線→金石線→浅野川線と転属しているようです。
石川総線では非貫通側に北鉄独特のZパンタグラフを装備、金石線ではポールに交換したりしてます。 軌道線扱いの金石線では排障器を付けたりとその姿は常に変わり続けていたようです。


地上時代の北鉄金沢駅に停車中のモハ3011+モハ3501。 当日のモハ3011はクハ代用のようでパンタを下げたまま運用に就いていました。
屋根上の前照灯は当初埋め込み型でしたが古風な外付け式になってます。 前照灯をシールドビームに交換する際、ライトケースが腐食してたので交換しやすい外付け式に変えたのかも知れません。 ほかの車両についても同様の改造が行われてます。
前面窓が総Hゴム化されてますが左右対称のスタイルでこれでもまだ整った姿をしている方。

北鉄金沢 1996(平成8)年3月25日



モハ3500形モハ3501

1961(昭和36)年日本車輌製でモハ3011と同型ですがこちらは最初から両面とも貫通扉付でした。 新製時より順に浅野川→加南→浅野川と転属しているようです。
当初は新造のND-4Dなる台車を履いていたのですが末期は古いイコライザ台車になっていました。


さっきのモハ3011+モハ3501の編成で、モハ3501に乗車して終点の内灘に就いたところ車両交換で入庫したところ。 こちらは前面向かって右の運転席側の窓のみがHゴム化されて左右非対称な顔つきになってます。
Hゴム化した窓も何度も手直ししているようで過去に撮影されたものでは時期により窓の形やワイパーの位置が異なってます。

内灘 1996(平成8)年3月25日



モハ3200形モハ3201

1957(昭和32)年日本車輌製で一連の北鉄標準型の先陣を切って投入された電車。 前面は片側が貫通扉付き、片方が非貫通で現役最後まで通してます。 張り上げ屋根ではあるものの若干古風なスタイルでウィンドウシル、ヘッダ付きでした。 新製時の集電装置はポールで、後にパンタグラフ化されています。 同タイプのクハ1000形クハ1001と編成を組み加南線で山中温泉への観光客輸送用として使われていましたが、6000系「くたに」が導入された後に石川総線へ転出。 その後は浅野川線に転入しますがヘッダが撤去され、非貫通側前面はHゴム化でノッペリとした印象の顔つきになっていました。


モハ3011+モハ3501に変わり出庫してくるモハ3201+クハ1001。 北鉄標準型でも最初期の製造ためか若干スタイルが異なりそれ以後に作られたモハ3011、3501、3551よりも屋根に丸みがありました。 新製時からの相棒クハ1001と組んでいることが多く、貫通側前面を前に出して走る姿が見られることはあまりありませんでした。 因みに貫通側の顔は運転台側だけHゴム化されており、車掌台側の窓サッシもクリーム塗装されていたので古風な雰囲気を漂わせていました。

内灘 1996(平成8)年3月25日



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