県道67号線となった廃線跡。長いこと工事が中断していたのですが、工事再開後は一気に多くの廃線遺物が消えました。 工事前の領内川北側に残っていた路盤。
撮影日:2003.09.14



道路化される前の踏切跡。ここはレールがはっきりとわかる状態でした。
撮影日:2003.09.14
道路化される前に残っていたコンクリート製暗渠の跡。
撮影日:2003.09.14



上牧交差点に残っていた枕木らしきもの。これも今は跡形もありません。
撮影日:2003.09.14
王子板紙(専用線があった頃は三興製紙)祖父江工場の鉄道門跡と思われるゲートが残ってます。





そして鉄道門跡の前の側溝には暗渠と思しき物も。橋の上にはバラストと思われる玉砂利も混じっています。

撮影日 2003.09.14
2007.05.27
2009.08.19



三興製紙専用線の機関車

C351と類似の産業用Cタンク機加悦鉄道C160


DB71と同型のDL(関西本線南四日市駅にて)


しばらくは自前の機関車を持たず、名鉄などから蒸気機関車を借用して貨車を牽引していました。
1951(昭和26)年に立山重工業で小型Cタンク機、C351(351という番号は三興1号機を文字っている)を新製し、 1963(昭和38)年にディーゼル機関車と交代するまで使用していたそうです。 C351は典型的な産業用蒸機といった外観で、現在京都市で保存されている加悦鉄道(日本冶金の私有機)C160とよく似ています。
前述したように1963(昭和38)年にはディーゼル機関車を導入、日本輸送機製のDB71が入線しました。 かつては全国の専用線でよく見られたロッド式の15t機です。

初期の借用機関車について
専用線が完成した当初は機関車が無く貨車を手押しで運んでいたそうです。 戦時中のことで勤労学徒が動員され貨車に挟まれて足を切断してしまうという事故も起きました。 間もなく名鉄の蒸機が入線、当初の借入機は今も明治村で保存されている1874(明治7)年イギリス製の元尾西鉄道12号や元三河鉄道の709号などだったようです。
C351入線後も機関車検査時などは名鉄機を借り入れて運行していたようです。
また東濃鉄道から借用した蒸機が使われたということです。 東濃鉄道では戦時中に駄知線2号機を名鉄に貸し出したことがあるそうなので、この機関車が当専用線に来たのではないかとも考えられますが真偽は不明です。 また「尾西線の100年」(郷土出版社刊)では230号というCタンク機の写真が掲載されていますがどういった機関車なのか謎です。


参考:尾西線の100年(郷土出版社刊)
 RM LIBRARY72 東濃鉄道(清水 武著 ネコ・パブリッシング)
 鉄道ピクトリアル 1996年7月増刊号<特集>名古屋鉄道(電気車研究会刊)



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