田立森林鉄道史

●田立森林鉄・軌道の開業
当初は木曽川沿岸森林鉄道の一路線として計画されており、坂下〜 坂川鉄道が開業した後の1928(昭和3)年度に奥屋駅より岐阜長野県境の峠(川上峠、長子峠などと呼ばれる)まで田立森林鉄道…後の一級線区間に当たる2,672mの区間が開業している。 当時は田立御料林は帝室林野局木曽支局妻籠出張所が所管しており、名古屋支局付知出張所管内の川上村内まで乗り入れる路線となっていた。 1933(昭和8)年度には潤滝、前沢インクライン、両インクライン間を連絡する中部軌道や上部軌道()を含めた13,574mが開業した。
坂川鉄道と直接つながる下部軌道と上部軌道ではガソリン機関車が使われ、距離が短い中部軌道は機関車が入線せず山トロの手押しが行われていた。 また上部軌道、インクライン、中部軌道区間の貨車は山トロが使われ、下部軌道はボギー運材貨車が使われたため潤滝インクラ下で山トロからボギー運材貨車への木材積替えを余儀なくされていた。 これは1935(昭和10)年にインクラインの巻き上げ装置が改良されボギー運材貨車が上部軌道まで直通運転を行うようになるまで続いた。 またこれと同時に中部軌道の動力化も行われ、中古バイクのハーレーダビッドソンを用いた簡易機関車が空の運材貨車牽き上げに使われた。
これら常設の土木軌道の他に仮設の作業軌道も敷かれており1935(昭和10)年度末時点で田立(延長:500m)、粟畑(延長:4,551m)作業軌道が存在していた。

田立森林鉄・軌道を管轄した旧帝室林野局木曽支庁妻籠出張所庁舎。南木曽町 山の歴史館に移築保存されている。

●戦時中の路線撤去と戦後の復活
太平洋戦争中の1943(昭和18)年度に田立森林軌道6,746mが撤去されている。 区間は不明だが上部軌道が通る奥地(田立の滝の上ということか滝上と呼ばれた)での伐木事業を中止して、手近な塚野樋ケ沢方面で事業を行うよう方針を変えたようだ。 林政統一後1951(昭和26)年度から再び線路の延伸が行われ、西タル沢経由で滝上へ至る新線や粟畑、滝上の作業軌道も計画された。

●復活から間もない廃止
1955(昭和30)年度には25林班(不動岩付近)まで線路が再敷設されたが森林鉄道の延伸より道路林道化するように方針が変わるとかなり速いペースで道路化される。 1956(昭和31)年度には奥屋で接続していた旧・坂川鉄道の坂下森林鉄道1級線区間が廃止され奥屋に中継土場を置いてトラックへの積替えが行われた。
この状態も長くは続かず奥屋側から撤去が進み1958(昭和33)年度には1級線区間全線と2級線区間の大部分が廃止された。 1959(昭和34)年度には残っていた2,103mの軌道が撤去され田立森林鉄道は消滅した。


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