旧・三都橋小学校前の交換所から再び当貝津川の方へと向かう林鉄跡を見下ろした様子。 右下から左上に向け路盤が続いており土留めの石積みが見えています。 これを撮影したのは県道365号田峯三都橋線上からですがこの道の前身は御料局が20世紀初頭に建設した段戸林道。 三都橋の交換所から2qほど先、鳴沢橋付近の林鉄跡。 この辺までが1930(昭和5)年度の工事区間で、これより奥の方が1929(昭和4)年度工事区間。 この場所は建設時の図面では「守義」とあり路線名も竹桑田守義線とありました。 この場所は守義(新城市合併後は作手守義)集落からは離れてますが当時の住所は愛知県南設楽郡作手村大字守義でした。
奥地から線路が敷設開始されているのは田口鉄道が田峯まで開業しておらず段戸林道で建設資材を輸送して三都橋を工事拠点としたためと思われます。 三都橋集落内から建設せず少し離れた山中から工事しているのは用地取得の都合からでしょうか?


竹桑田起点8q付近。国道から1段高いところに路盤が残りますが拡幅した国道に削り取られている個所も多いです。 時折国道脇に現れる石積みの橋台跡。この先団子島まであまり大きな橋梁や桟橋はありません。 路盤が国道に飲み込まれたりまた分かれたりして続いています。


国道420号線と分かれて栃洞川(地形図では団子島川)を少し遡った竹桑田起点13.1q地点の付近が栃洞線が分岐していた団子島製品事業所前。 現在も車庫や休憩所などいくらか建物があります。 鰻沢線は左に分岐して栃洞川を渡って再び国道420号線の方へと向かっていきます。 栃洞線は前方の車庫(林鉄時代のものではないらしい)の左を直進していたそうです。 2007(平成19)年6月時点では左に木造倉庫がありました。 かつてはその倉庫付近に機関車用の小さな車庫が建っていたそうです。


林鉄をよく御存じという地元の方に伺ったところでは列車は1日1往復、朝竹桑田を出た列車は8:00頃に団子島着
その日の作業に応じて鰻沢、栃洞のどちらかへ向かい木材を積込んでいたそうです。 推測も交えて列車運行の基本パターンを推測してみました。
<行き>
6:30頃 竹桑田発→8:00頃 団子島着→9:00頃 鰻沢or栃洞着、積込み作業
<戻り>
10:00〜11:00頃 鰻沢or栃洞発(積込みの終わった運材貨車から順次乗り下げ)〜11:00〜12:00頃 団子島着 昼休み〜
13:00頃 団子島発(各車乗り下げ)〜14:00頃 三都橋に集合、機関車+貨車の編成組成〜14:30頃機関車牽引で三都橋発〜15:00頃 竹桑田着

実際の運行では民材輸送や団子島の段戸パルプ工場(後に製板工場)の原料、製品輸送などその日の作業に応じて運行時間帯や運行パターンは変わっていたものと思われます。


2007(平成19)年6月撮影の倉庫に掛っていた掲示板。「民貨輸送計画」や「配車計画」の文字が見えます。 林鉄無き後も営林署直営の自動車輸送が行われていた名残でしょう。 今となっては営林署後身の森林管理署による直営生産ではなく立木処分(植わった生木の状態で売り払い伐採から輸送まで購買者が行う)しか行われていないようです。 車庫裏にある建物群。右は豊邦担当区休憩所。左奥に見える倉庫付近が栃洞線跡のようです。


建物群の中には軽便鉄道用レールもいくらか置かれています。 継ぎ目板が付いたままの9sレールが地面から生えていたり。 ポールとして利用していたところに何かぶつけて曲げてしまったという感じです。 建物群と道路を挟んで向かい(北側)にある旧・団子島製品事業所。 最近まで珪石鉱山の事務所として利用されていたのが今ではそれもなくなったようです。 帝室林野局時代に建てられた総ヒノキ造りの立派な建物で段戸裏谷のヒノキ材を使っているとのこと。


田峰森林鉄道鰻沢線3へ 田峰森林鉄道鰻沢線5へ 新城営林署の森林鉄道TOPへ


inserted by FC2 system