名鉄竹鼻線
1914(大正3)年に美濃電気軌道が岐阜から笠松に達し、竹鼻町にも鉄道をという機運が高まりました。 しかし美濃電本体が自前で路線を延長することはせず、地元資本と共同で設立した竹鼻鉄道が1921(大正10)年6月25日に新笠松(現西笠松)〜竹鼻7.7kmを開業させます。 開業当初は木造二軸単車デ1形1〜4と無蓋貨車2両のささやかな鉄道でした。 その後1929(昭和4)年4月1日に大須までが全通、デ5形5〜8を増備しますがまたも木造二軸単車でした。 これらの二軸単車は戦後間もなく熊本電鉄、野上電鉄、松本電鉄に譲渡されボギー車が入りました。 名古屋本線が木造車が主でしたが 1962(昭和37)年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。 1982(昭和57)年に羽島新線が開業するとそちらが本線的立場になり、輸送量の少ない江吉良〜大須は支線扱いになってしまいました。 2001(平成13)年9月30日に廃止されました。 →地図


竹鼻線江吉良駅の分岐跡。手前の路盤が大須方面の線路跡。 江吉良を新羽島行の3150系が発車して行くところ。 元来は羽島新線の方が1982(昭和57)年に新設された支線なので笠松方面から大須に入るルートが直進になってます。
江吉良駅側から大須方面を望むと廃止直後に設けられた車止めがあります。 中から僅かにレールが突き出てますが廃線区間の内現在レールがあるのはここだけ。


住宅街を進み最初の駅が牧野。 相対式ホームですが末期は左のホームだけが使用されていました。 竹鼻線の高速化と増発のため1958(昭和33)年9月7日に右のホームを増設して交換駅化されたものの実際に機能していたのは10年足らずだったそうです。 名神高速と東海道新幹線をくぐる直前の長間駅。 ホームの桜の木がなくなって寂しくなりました。 この辺もまだ昔ながらの狭い道が入り組んだ住宅街が続きます。


中区駅跡。 元々は中駅でしたが高山本線の那加駅と音が同じで紛らわしいと言われたため区が付いたとか。 どうも最近重機が通ったような跡がある廃線跡。 右にある土盛りは1944(昭和19)年に休止された沖駅のプラットホームの名残でしょうか?


中島小学校横の踏切跡傍には蒸機B6の描かれた踏切標識がまだ残っていました。 電車の図柄の標識はほかにも結構見かけましたが蒸機のはここだけだったような。 市之枝駅跡。ホーム上にいい感じの上屋がありましたがこちらは早々に撤去されてしまいました。 末期は1面1線でしたがここもかつては交換駅でこのホーム両側に線路がある島式ホームでした。


いい感じの黒壁の民家と廃線跡の路盤。橋桁など金属製のものはあらかた撤去が済んだようです。 1944(昭和19)年休止の美濃石田駅付近に残る電車の踏切標識。 ワム80000形利用の倉庫が線路上にあるかのように見えますが実際に置いてあるのは線路より向こう側。 因みに廃線区間内線の貨物輸送量は僅かなものでした。


竹鼻線廃止区間の貨物営業は大須のみで行われてました。 その貨物営業も1965(昭和40)年度で廃止されています。 元々取扱量も少なく貨車は主に電車が牽く混合列車だったようですが、尾西鉄道出身のデキ1が牽くこともあったようです。


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